人を導けるのは真実に愛するから、柔和でへりくだった人格があるから

命を導けるのは真実に愛するからだと言いました。

箴言では、主人は自分のものだから貴重に扱うのだと言いました。

だから、愛の主権を持つことが必要です。

主人について、ポンソクさんがこの前リーダーシップ論を話されていましたが「一メートル上げられたなら自分で一メートル降りてくる」姿勢が必要だと言います。柔和でへりくだることだと言っていました。

その言葉どおり、ポンソクさんはものすごく腰が低い方です。

お会いしたときは必ず低姿勢で一人一人に握手されます。

しかも、低い位置にいる人のことをよく気づかれるというか。

これはチョウンさんもそうなのですが、ほんと、どうやってそれに気づくんだろうというくらい、よく気がつかれます。

群衆がたくさんいる中でも、天がどこに注目されているかをいつも気にして、自らそこに入っていかれる姿があります。

しかし、昔からそうではなかったような気がします。

僕が初めてポンソクさんをお見かけしたのは10年以上前、黒いスーツに、真っ黒なサングラスかけて、黒い車に乗って、そんで月明洞の運動場を走って行く姿でした。

迫力満点でしたねww

その数年後、初めて握手をした時も、さっさと握手していくというか、はいはい次々、みたいな雰囲気でした。

すごく緊張したのを覚えています。

それが、いつのまにか変わられていた。

僕は過去のど緊張の握手を覚えていたから、「握手はいいや」と思っていたんですww

そしたら全然違って、一人一人に「ありがとう」といいながら、手をぎゅっと握るんです。

それがけっこう胸にくるんですね。

そのように変わられたポンソクさんが、先日話されたモーセのエピソードがとても印象的でした。

モーセってイスラエル民族を導くにあたって、けして自分を頭にしないで「私にはできません。主が行なってください」というへりくだる人格者ですが、若いころはそうではなかったのだと。

なにせ王族に育てられた人だから、自信満々だったはずだろうと。

「神様!イスラエル民族を僕に任せてくださいよ!うまいことやってみせますよ!」という感じではなかったかと。

イメージつきますよね。ボンボンなんだってことです。

それが、いろんなことを経験する中で磨かれていき、ついにホレブ山で燃える柴の出来事が起こります。

神様に「靴を脱ぎなさい」と言われました。

靴を脱ぐ、つまり過去のものを全部葬ったのだといいます。

それからのモーセには、若いころの姿が見えなくなったといいます。

モーセは口が重い人だという記述もありますが、それは元からの口下手なのではなくて、考えが深くなって、話すことがなくなったのだということだそうです。それで話すことがうまいアロンを立てました。

そのように愛を備えたから、イスラエル民族を導くことができたのだといいます。

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