その昔にお年玉をはじめた人がいたように、その昔に愛をはじめた存在がある。

姪っ子と甥っ子にお年玉をあげました。

お母さんから事前学習したとおりに、「ありがとう」と言ってくれました。

そして、姪っ子はすぐに開封していましたw

お年玉の文化っていつから始まったんでしょうね。

子どもにとってうれしいイベントの一つ「お年玉」。

くれた大人に対してありがとうと言いますが、大人からすると「お年玉の文化を作った人にありがとうを言ったらいいよ。」と思わないでもありません。

僕は、はじめにお年玉をあげた人を模倣し、代理としてあげているだけです。

クリスマスもそうですよね。サンタクロースのモデルは4世紀に現在のトルコに実在したカトリック教会司教、聖ニコラウスだと言われています。聖ニコラウスが貧しい子どもにプレゼントをした、それが世界中に広まって今のクリスマスプレゼントの習慣ができています。

そういう、「もともとは誰が始めたのか。」というのがわかると考えが一段階深くなると思いませんか?

私たちは、はじめに行った人を真似して、代理の働きをしています。

今朝、摂理で伝えられた御言葉で先生は「人が行っても神様が行ったことだ。」といいました。

たとえば「機械は自動で動くけれども、その機械を作ったのは人間だ。だから機械が行ったことは人間が行ったことと同じだ。そのように神様もそうだ。」といいました。

人がやっているようだけど、実はそこに神様が働いていることがあります。

だから、目の前に見える人だけではなくて、神様に感謝をしなさいといいました。

神様は、神様が人間にしてあげたことを、人間が気がついて感謝することを喜ぶといいます。

身の回りで起こっている感謝すべきこと、それがすべて一つのところから出ていることがわかったら、いろいろなものの見え方が変わるのではないでしょうか。

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