ヨーロッパでは「見た目の美」以外にも「経緯の美」を重視する。

実家に帰った時、すでに家族が集まっていました。

みんな結婚したりだなんだで実家から離れているので、車で来るんです。

数台、家の前に止められていました。

日産、トヨタ、マツダ。

マツダの車がフォルムが美しいと思いました。

マツダというメーカーは、他のメーカーがシェア争いにしのぎを削っている中、そこには参加せずにひたすら「独自の美しさ」みたいなものを極めようとしているところがあります。

「美しいとは何か」という哲学を探求することに余念がなくて、「余計なものをどんどん削ぎ落としていってその先に現れる『あっ』という驚きを見つけようとしているのだ」と聞いたことがあります。

「美しい」ってなんでしょうね。

今朝聞いた御言葉では「行いを美しくしなさい」と言いました。

マツダの車のような「美しさ」を行いで表現するとしたら、「姿勢を正して歩く」とか、「丁寧な挨拶をする」とかが思いつきますがどうでしょうか。

それももちろん大事ですが、御言葉では「霊の美しさ」について触れています。

話を車に戻すと、“美しさの本場”ヨーロッパでは、車メーカーはブランディングするにあたって、そのメーカーの「歴史」を大事にするのだといいます。

はじめにどういう思いで車を作り始めたのか、今それをどう受け継いでいるのか、どのように変わってきたのか。

そうした経緯の一つ一つを語ることで、そのメーカーのブランディング、美しさを形作っているそうです。

ここにヒントを得るなら、「行いの美しさ」は「経緯をたくさん作れるか」にかかっているように見えますね。

見た目の美しさは限界があります。車は自由に形を変えられますが、人の形はもともと持っている形が一番美しく、それ以上はそんなに変えることができません。

ですが、それぞれが作る経緯、行いの美は、限界なく伸ばすことができます。

「美しくなる」ということを目指す時、「経緯を作る」ということを研究してみるのもいいかもしれませんね。

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