革新的な実践を

昇一さんを迎えて御言葉してもらいました。

新しい歌についての御言葉だったけど、僕が一番気になったのは、先生の精神の話についてでした。

先生の精神ってどんなものでしょ。

とにかく「最後までやる!」

そうなんだけど、ちょっと考え直さなきゃいけないことがあると思うんですよ。

バリバリ仕事に打ち込む姿もそうなんだけど、それだけじゃ無いんです。

先生から学ぶ人たちが認識を改めなきゃいけないことがあるなあと、僕は思いました。

それは、「実践の革新性」ともいうべきか。

歌もそうだし、サッカーもそうなんですが。

僕らは、先生が歌ってたら「面白い歌だなあ」と思うし、サッカーやってたら「うまいなあ。でもディフェンス本気出して無いでしょ。」と思うんですが、もっと注目しなければならないのは、その革新性です。

牧師がサッカーって…

僕らはふつうに受け入れてますけど、宗教界からしたらけっこう「おいおい」ってなることだったと思うんです。

しかも先生がサッカーを始めたのは今から30年も前の話です。

サッカー人気がそれほどでも無い時期。人気のないスポーツを、牧師である先生が始めたわけです。

今までの常識では考えられないことを、先生はやった、その革新性がすごい。

「牧師がサッカーなんてやったら権威が下がりますよ。」

「そんなダサいこと、牧師のイメージダウンになるからやめてください。」

そんな声があったはずです。でも先生はやり続けました。

そしてサッカーは摂理の文化に。多くの人が集まりました。

今ではサッカーをやることはふつうですよね。そういう「ちょっと新しいこと」をやることが流行っています。

お坊さんがiPad持ってたり、警察官がDJをやりながら渋谷の交差点を警備していたり。

そういう、あとでは当たり前になることを先生はずっと前からやっているんです。

さらに、ただ新しいことをするだけではなくて、そこに御言葉がうまく乗っているわけでしょう。

サッカーの一つ一つの動作に御言葉が入っています。

こういうことを、私たちもやらないといけないんだなあと思います。

裾野が広がらないからね。

先生はこれからもそういうスタンスで走られるのだろうと思います。

はじめはなんやかんや言われるでしょう。

「そんなことやっていいの?御言葉通りなの?」

でも、最後までやったら、時になってその苦労が報われます。

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