いつでも「今が一番良い」といわれるわけを考えてみる

「今が黄金期だ」と言いました。

先生は「今が黄金期だ」とよく言います。

現実を見るととても楽な状況ではないときでも「今が黄金期だ」と言います。

それは、環境が悪い時でも見方を変えれば得るものがたくさんあるということでもあるし、また、将来から今を見た場合、今どうするかで将来が左右されるから「今が黄金期だ」ということもできます。

言い方を変えると、将来「あのとき頑張っておいてよかったな。あの時にやっておいたから今の自分がある。あの時は黄金期だった。」と思うその考えを、今しゃべっちゃっているということです。

将来にきっとそう思うはずのことを今話しているということ。

そういう、時間を超えたものの見方を先生がよくしているということを、御言葉を聞いていると感じることができます。

神様はアルパでありオメガです。

はじめでもあり、おわりでもある。

現在のことを話していながら、将来のことを話していることもあります。

100年後に、この「今が黄金期だ」という言葉を聞く人がいるなら、「あの時はたしかに良い時だった」と思って2018年を懐かしく思い出すだろうし、また「今がまた良い時だ、頑張ろう」とも思って2118年の世界を新しく作っていくはずです。

神様はアルパからオメガまで、みんなに働きかけてその御心を成していきます。

「自分をどう作るか」

「自分をどう作るか」について話してもらいました。

目は目の役割をして耳の役割はしないし、耳は耳の役割をして目の役割はしないと言いました。

自分がどういう人生を送るかって、わりと自由に決められそうで、いつまでもそうではないと感じます。

どの専攻に進むかもそうだし、どんな職業に就くかもそうです。

専攻を決めるのは一生で一回のことが多いし、職業も何回も変えるわけにはいかない。

配偶者もそうですね。

若いころはなんでも選び放題な気がしますが、結局一つを選んでそれを大事に伸ばしていかなきゃいけないということを、少し大人になった最近は思います。

先生は40代からサッカーを始めたし、これからも新しいことにチャレンジするんだろうから自分で限界を決めてはいけないと思いますが、その先生も中心はまったく変わりません。

風邪で礼拝を休んだら、先生の状況が少しわかった

今日は風邪をひいたので聖殿に行くのはやめました。

動けはするけれど、周りにうつさないように。たくさんの人がいますから。

日曜日に聖殿に行かずにいて、わかったことがありました。

今まで、毎週当たり前のように礼拝を捧げていて実感が湧かなかったのですが、先生は、この10年間、1度もみんなで集まっての礼拝どころか一切のイベントに顔を出していないということです。

そりゃそうなんだけど、今まであまり考えなかったんですよね。

自分で経験してみて、より実感をもてるようになりました。

そして、今までの自分が、「いかに礼拝に参加するか」を考えて動いていたことが恥ずかしくなりました。

110日のお祈りの条件についてもそうです。時間通りに聖殿に行くことをかなり意識した生活習慣にしていて、それはそれで大変だったんだけど、そこに集中しすぎて大事なことがなおざりになっていたかもしれない。

もちろん先生は「社外人は日曜、水曜の礼拝に行きなさい。命の御言葉が伝えられるから。」といっていたし、礼拝の場に神様はいるわけだし、いつまでも先生が1人で礼拝を捧げているわけではないからその準備も必要なわけですが。

少し別の角度からものごとを見られるようになった日曜日でした。

聖殿にはいかなかったんだけど、ずっと家にいるのはキツイです。精神的に。

だから外に出ました。そしてブログ書いてる。

今を見るより将来を見通せるか

神様は、この歴史の中で無駄なことはなかったと言いました。

成功者は「今までやってきたことで無駄なことは一つもなかった。」とよく言います。

最後まで行くと、それまでの過程の意味がわかるようです。

逆にいうと、過程ではわからないこともあります。

箴言でも「<月明洞開発前>には「月明洞地域の形と形象を見いだせた人」が地球世界に誰もいなかった。開発してから分かった。」という話をされています。

だから最後まで行きたいです。

また、「<人>も「頭角をあらわす前に見る目のある人」は「悟った人」だ。」とも言います。今みると大したことがないように思える人でも、あとで大きくなる人がいます。

旧約聖書で、兄弟にいじめられた末にエジプトの奴隷として売られてしまうヨセフは、後にエジプトの総理大臣になります。その時、ヨセフの兄弟たちは飢饉に困り、ヨセフの元へ行って頭を下げます。

ヨセフは彼らの心がちゃんと直ったのかを試したあと、兄弟たちを迎えます。

このように、後で大きくなる人がいます。ただし、もちろん大きくならない人もいます。騙す人もいます。

その見分け方が難しいです。