師から教わったら生活の中で応用するのが教わる側の責任分担

今日の『全世界の真の師は誰か。』というタイトルで教えてくださいました。

師と呼ばれるいろんな人が出てきましたね。

孔子、釈迦、ソクラテス。僕は学生の時代は哲学をかじってましたので、釈迦とソクラテスは少しだけ勉強しました。

学びが多かったし考えが変えられることも多かったですが、それでも御言葉と違うところは、教えて続けてくれるというところですね。

今の自分の状況に合わせた話が聞けると言うのは、やはり御言葉からしかもらえないものでした。

韓国では師の日が近いということで師は誰かという御言葉が出ています。

師匠は教えることが使命です。私たちは教わる事が責任分担のわけですけれども、ただ教わるだけではいけないということを、御言葉からも、またその後の指導者の話からも学ぶことができました。

今私たちがすべきことをていうのは、ただ教わって満足すると言うことではないと言うことです。

教わる側の姿勢として、教えてもらったこと生活で応用をして成果を出す、それは教えてくれた人への最大の恩返しになりますね。学校で授業を受けてテストで良い点を取ったら、それが先生の功績になります。良い学校に進学したら先生も教えた甲斐があります。

そのようなわけで、御言葉通り、行って天の前に功績を立てたいですね。