聖書を読んでいて、誰もが退屈に思う箇所があります。
「◯◯は何キュビト、××は何キュビト…」とずっと続く箇所です。
旧約聖書のいろんな箇所に出てきます。箱舟を作った時、聖殿を作った時。
ここも聖書だから神様が教えたい何らかがあるのだろうと思って読んでいましたが、なかなかわかりませんでした。
数式で書けばいいじゃん。
いやそもそも絵で描いたらいいじゃん。
現代的に言えば、こういった箇所は数式か絵で描くことが多いです。
数式で書けば、後世の数学者が研究材料にできます。
図面で書けば建築士が読んで建造物を再現できるし、絵で書けば一般の人にもわかりやすい。
なのに、なぜか文字列。かたくなまでに文字だけ。
文字で書いてあるから、いろんな解釈ができてしまいます。
不思議です。
僕なら「◯◯は何キュビト、××は何キュビト、なんですが、文字で説明してもわかりづらいですよね。これを絵にしたものが図1になります。」
と書いて次ページに神絵師に書いてもらった一目見てわかる絵を載せます。
先生は聖書を教える時に絵を使いますね。
しかし旧約聖書も新約聖書も、その時々の中心人物やイエス様やその弟子が絵を描いたという記録がありません。
黙示録なんか絵で描いたらすごく恐ろしい裁きであることが一目でわかるけど、一生懸命文字で書いてあります。
黙示録を書いたヨハネは絵が下手だったのかな。たぶん黙示録を書いた時にためしに絵も描いてみて「だめだ、この絵じゃ恥ずかしい」と思って消したのかな。などといろいろ考えてしまいます。
そこで思ったのは、イスラエル民族は御言葉に特化した民族たったのだな、ということです。
同時期の他の文明では巨大なピラミッドや壁画、さまざまな学問が発達する中で、イスラエルはそこに強みがあったというわけではなく、言葉が強かった。
「言葉は神である」と聖書に書いてある、その言葉、神様に強い民族だったのだなということです。
周りを強大な国に囲まれた小さな国で、軍事が発展するよりか、文化芸術が発展するというよりかは、御言葉が豊富にある国だった。
そういう位置、そういう強みのある民族だったんだな。
そう考えるとスッキリしました。
今、ユダヤ人はビジネスに強かったりアルゴリズムを作るのが得意だと言われています。
ビジネスは言葉の文化だし、アルゴリズムを書くプログラミングではやりたいことをすべて文字で表現しなければなりません。
ユダヤ人がこうした分野に強いのは、昔からなんでも文字で残してきた、文字に強い民族性があるからではないかと思いました。