目的について話してくださいました。
目的について、最近感じることがありました。
神様の目的と、人間の目的は違うのだなということです。
それを感じるようになったのは、他人の目的としていることを聞いたときです。
最近は価値観が多様化しているので、他の人が目的としていることに対してよくわからないことも多くなってきました。
「この人はどうしてこのことに熱心になっているのだろう」
誰でも、そう考えることは多いのではないでしょうか。
それでも、人それぞれだから、その人の好きなものに対して理解しようとすると思います。
それが近しい人だったらなおさらです。
自分の子どもが、ある特撮ヒーローに対して「会いたい」という目的を持っている場合、親はなんとか会わせてあげようとすると思います。
子どもを愛しているからです。
子どもが「ヒーローに会いたい」、という目的を持つとき、親は「子どもをヒーローに会わせたい」という目的を持つわけです。
こと2つは、似ているようで全く違います。行動としては「ヒーローに会いに行く」ということになりますから同じになりますが、その心は違います。
その異なった目的を1つに結び付けているのが、愛です。
もし、Aさんが通りすがりの赤の他人のBさんに突然「すみません、ヒーローに会いたいんですが一緒に行ってくれませんか」と言ったら、 Bさんは断ります。
Aさんには「ヒーローに会いたい」という目的があってもBさんには「 Aさんをヒーローに会わせたい」という心が生じないからです。
それは、まだ AさんとBさんの間に関係性がないからです。
人間と神様も同じです。
お互いに愛の関係がある時は、人間の目的を神様は叶えようとしてくださいます。
それが神様の喜びにもなるからです。
しかし、人間が神様から離れている時、神様には人間の目的を叶えようとする心が生じません。
人はお金が欲しいとか名誉が欲しいとか考えますが、それはもともと神様が持っているもので、人間の求めることは神様にはわりとどうでもいいことです。
人間が神様の癪にさわることをしているときは、神様は人間の目的を容赦なく潰します。旧約聖書にはそんなシーンがたくさん出てきます。
だけど、人間が神様の目に愛らしく映るとき、その愛で神様は人間の目的をなんとかして叶えようとします。
だから、求める技術というか、そういうものが必要になるんだと、この前思いました。
この前、ふと「先生の御言葉にルターがよく出てくるがルターはどんな思想を持っていたのだろう」と思ってググってみたらこんなサイトを見つけました。
https://suomikyoukai.xsrv.jp/?tag=祈り
ルターの言葉や著作をまとめたものなのかな。
いい言葉もたくさんありました。
「心の中だけではなくて、口にも出して、祈っていくことが大切です。
祈りによって私たちは戦い、祈りによって私たちは勝ちます。
主なる神様は、
御自分に乞い求める者たちが激しいほど熱心であることを、
喜んで見ておられます。
それゆえ、
私たちはこの「乞い求める技術」を学ぶべきです。
それは、
私たちがよく神様に祈るためであり、
神様を避けたり神様に祈ることを躊躇したり止めたりしないためです。
神様は
たくさんのことを私たちに与えたいと望まれており、
それが御自分の栄光を輝かせることにもなると思われています。
私たちが神様から多くのよいことを期待して祈るのは、
神様にとって喜ばしいことなのです。」