ヨシヤ王の立場から考える「無知の中の相克世界」

無知の中の相克、ヨシヤ王の話でした。

何度か聞いている話ですが、今また必要な御言葉でした。特に民族間の感情において、今わきまえておかなければならない話でした。

話の内容は、一度聞けば誰でも理解できます。

ところが、それを実践するとなるととても難しい。

御言葉は神様の立場から話された言葉で、「ヨシヤは余計なことをし、エジプトと争うべきではなかった。」という話は、答えです。

答えだけ見れば、誰でも納得がいきます。

そこで、問題の方を見てみます。人間的な目でヨシヤを見るということです。

すると、「争うべきではない」という答えを導くことがけっこう難しいことがわかります。

まず、聖書にはヨシヤが8歳で王になったということが書いてあります。

遊びたい盛りの今でいう小学生低学年の子どもが、いきなり全民族の責任を負わされるわけです。問題です。

なぜ8歳で王になったかというと、ヨシヤの父で先代の王でもあったアモンが殺されてしまったからです。

殺したのは、アモンの家来たち。

今でいうクーデターです。当時の政治が混乱していたことが想像できます。

アモンは主の前に悪を行なった人で「主の前に身を低くしなかった」と書いてあるところから、横柄な人で、それで家来の反感を買ったのかなあと想像できます。

アモンが王になったのは22歳で2年国を治めたと書いてあります。つまり24歳の時に死んでいます。

その子ヨシヤがその時8歳だったということから、アモンは16歳で子どもを産んでいることになりますね。そんなところからも、アモンの軽はずみな性格がうかがえます。

そのアモンの父、つまりヨシヤの祖父はマナセ。マナセは老年には悔い改めて主を敬うようになりますが、若いころは好き放題やっていたようで、占い師を任用したり子どもを火で焼いて捧げものにしたと書いてあります。

もし、現代の総理大臣が占い師を大臣に任命したとしたら、国民は誰でも怒るでしょう。ましてや子どもを焼くという行為が現代では想像ができません。なんの意味があるの?

それはともかく、ヨシヤはその祖父も父も愚か者だったわけです。

その政治にうんざりした国民によって、ヨシヤは王に立てられました。

周りは強敵に囲まれているし、祖父や父はろくなものを自分に残さなかったしで、腐敗し混乱した世情の中、ヨシヤは人には頼れず、主を頼るしかないような状況のなかで育ったのでしょうね。

先生のようです。

「父や祖父のようにはなるまい」ヨシヤはその思いが強かったのか、偶像を徹底的に排除します。

「もろもろのバアルの祭壇を、自分の前で打ちこわさせ、その上に立っていた香の祭壇を切り倒し、アシラ像、刻んだ像、鋳た像を打ち砕いて粉々にし、これらの像に犠牲をささげた者どもの墓の上にそれをまき散らし、 祭司らの骨をそのもろもろの祭壇の上で焼き、こうしてユダとエルサレムを清めた。」
‭‭歴代志下‬ ‭34:4-5‬

粉々にして、墓に撒き散らし、墓の中の骨を焼いた。

相当怒っている様子がうかがえます。偶像だけに止まらず、それを行う人への怒りがものすごいです。きっと親への複雑な感情も混じっているのかもしれません。

偶像を排除したヨシヤは、過越の祭りを再開しました。

イスラエル統一王国時代とその後に続く南北分立時代に過越の祭りを行ったのは、ソロモン、ヒゼキヤ、そしてヨシヤの3人だけだったそうです。

イスラエル民族独立の象徴とも言えるその過越の祭りを、ヨシヤとその民族は盛大に行いました。

かつてエジプトの奴隷だったイスラエル民族が、モーセを通して解放された。

奴隷としてしえたげていたエジプトに10の災いを下した神様。

しかしその災いを、神様はイスラエル民族には過越された。

エジプトから救われたその過去を、人々は記憶に再び刻んだわけです。

その記憶がまだ消えないうちに、エジプトが軍隊を率いてヨシヤの土地を通っていったわけです。

ちょっと待てよと。お前らまたあれか、また奴隷にしようとするつもりかと。

多くの人は反射的にそう考えるでしょう。

エジプトのネコは「通り過ぎるだけだ。」と言いますが、そう簡単に信じられるものではないと思います。

現代でいうなら、日本の自衛隊が韓国の領空を飛んでいくようなものです。ものすごい騒動が起きることが予想できます。

たとえ日本が「韓国を救うためだ。通してくれ。」といっても大きな国際問題になるでしょう。

そのようなことが、その時ヨシヤの国でも起こっていました。

国中が大騒ぎだったでしょう。ただでさえ信じ難い話である上、親も信じられないような境遇で育ったヨシヤです。

しかも通っていくのはヨシヤの忌み嫌う偶像崇拝をする国。

人間的にいえば、信じるということはかなり難しいことだったと、ヨシヤに同情してしまいたくなります。

ヨシヤは戦いに出て、死んでしまいました。

これらが、人間の側から見た問題です。

これらの問題を抱えて、なお「争ってはいけない。」という答えを得られるかどうか。

先生は、「ヨシヤは歴史を学ばなかった。ヨセフの時代にヨセフがエジプトを救った、そのお礼をヨシヤの時代にしようとしていた。」と言いました。

無知の中の相克世界。

私たちは簡単に学びますが、これを悟るのはあまりにも難しいことです。