「〜してください」という祈りについて

御言葉の量が、一時期よりは少なくなってきました。

以前があまりに多かっただけですが。

以前聞いていた量が体質になっているせいか、耳さみしいような思いもあって、最近僕はオーディオブックを聴いています。

オーディオブックとは、市販の本を読み上げるサービスです。

いろんな本を聞いてみて、NLP(神経言語プログラミング)の本にこう書かれていました。

「目標は完了形で書きましょう」

どういうことかとオーディオブックを聞き進めると、こう書いてありました。

「〜なりますように」「〜したい」という目標の立て方は、暗に「現在の自分はできていない」というメッセージを含んでおり、脳が「できない自分」をイメージしてしまうので、目標達成が難しくなる。

とのことです。
つまり、ネガティブ思考になってしまうということですね。
自覚しているしていないに関わらず。

だから、「〜できました」という完了形で目標を立てる方が脳にとって良いそうです。

「〜できました」という目標の立て方だと、脳が「できた自分」をイメージして、できた自分にとってふさわしい行動を実際に起こすようになるとのことです。

これはたとえば、「梅干しを十個口に頬張って1分間我慢する」と想像すると実際に唾液が出てくるように、脳の生体反応として、イメージするとそれにふさわしい体の反応が起こるのと同じ原理です。

逆に、「できない自分」をイメージすると、脳はそれにふさわしい認識と行動を取るように体に指示をします。

この話を聞いて、あっと気づいたことがあります。

お祈りについてです。

私たちは願っていることを祈ります。
けっこうたくさん祈っています。

そして、そのほとんどが「〜なりますように」「〜してください」という形になっているということです。

「主が100%してくださる」という確信があれば弊害はないのですが、こうした祈りの形は謙虚さを表すという反面、見方を変えれば、脳にとっては「自信の減退」という側面を持っています。

元々謙虚な日本人にはこの側面がより強く現れているかもしれません。

必死に祈れば祈るほど疲れる、虚無感に陥る。そのような経験をしたことがある人は、たぶん僕だけではないはずです。

10年くらい祈ってるのにまだ実現していないこともあります笑

それもそのはず、祈る度に「できない」というメッセージを何度も何度も自分の脳にすり込んでいるからです笑

先生は祈りについてたくさん御言葉をくださっていますが、おそらくそれをちゃんと学べていない可能性があります。ちゃんと学べば、僕がしている祈りとは変わるのではないかと最近思っています。

そもそも、先生は求める祈りについては僕らがしているほど強調していません。

「求めよ」とはいいますが、その後に必ず「探せ、門を叩け」と言います。つまり行動しろと。

そして、求めのお祈りについても「もうしてくださったと思ってするとよい」とおっしゃっていたことがありました。

聞いた当時は???でしたが、少し理解できた気がします。

伝道の時は、「あらかじめどんな人と会いたいか具体的に祈ってから出かけると本当に会える」という話をたくさん聞きますね。

何にせよ、まだまだわかっていないことが多いですね。