ヨシヤの話でした。
以前もヨシヤについてブログを書きましたが、それはヨシヤ個人についてでした。
今回は、ヨシヤが属していた南ユダ(ユダ国)について調べてみて衝撃だったので書き残しておこうと思います。
ユダ国は、その昔はダビデ王が建てたイスラエル王国でした。
それが後世になって、北イスラエルと南ユダに分かれました。
ヨシヤ王は南ユダの王です。この時(紀元前600年あたり)にはすでに北イスラエルは滅んでいるようです。
南ユダの周りにはエジプトや新バビロニアなど大国があって、南ユダの大きな脅威になっていました。
そこへエジプトの軍隊が南ユダの領地を通り過ぎようとし、南ユダは“戦ってはいけないのに”戦ってしまって負けてしまいました。
この出来事から得られる教訓は、御言葉で聞ける通りですので、摂理の御言葉を聞いてない人は聞いてみてください。
僕は、「この後の歴史ってどうなったんだろう。」と気になって調べました。
調べたところ、聖書にあるエジプトと南ユダの戦いは、歴史的には「メギドの戦い」というそうです。(紀元前609年)
メギドの戦いの4年後(紀元前605年)、エジプトは4年前に南ユダに邪魔されてできなかった目的を果たすため、北上して新バビロニア(バビロン帝国)と戦います。
これは歴史的には「カルケミシュの戦い」というそうです。
その結果、エジプトは負けました。
この後、エジプトはアジアへの勢力拡大政策が頓挫してしまうそうです。
え、ヨシヤがメギドの戦いでエジプトと戦わなかったら、エジプトは余計な消耗をせずアジアに勢力を伸ばしてた可能性もあったってこと?そしたら現代のエジプトの国境ってもっと違ったんじゃね?ヨシヤ、他国の歴史も変えちゃってね?
そう思いました。みんなもそう思うでしょう。
話を戻して、エジプトに勝った新バビロニアは栄華を極めます。
栄えた新バビロニアが何をしたかというと、紀元前597年から起こるバビロン捕囚です。
聖書にある通り、南ユダの王ゼデキヤは目をくりぬかれてバビロニアに連れて行かれてしまいました。
そういう流れなんですね。バビロン捕囚に至るまでの流れ。ヨシヤ王の失敗がそこに繋がるのか。もしカルケミシュの戦いでエジプトが勝っていたら…。
いや聖書にはその前からバビロン捕囚をにおわせる記述はあります。ただきっかけはあったにせよ、直接的な原因を作ってしまったのは、ヨシヤ王のその一回の判断誤り(エジプトと戦ってしまった)とも見えます。
このゼデキヤ王を最後に、南ユダは滅びてしまいました。
だから、イエス様が生まれた時も、ヘロデとかいう変な王が国を治めていたんですね。
ヨシヤの失敗が無かったら、イエス様が生まれた時の治世者も変わっていたかもしれません。
そしたらイエス様の運命はどうなってた?ヘロデに直接的に殺されたバプテスマのヨハネの運命は?
たられば(こうだったら、ああしていれば)という話は良くないですが、これは考えてしまいます。
そして、これはwiki情報ですが「ユダ王国が滅ぶと、わずかな例外的時期を除いて20世紀に至るまでユダヤ民族が独立国を持つことはなかった。」だそうです。
いやまじかよ、って思いますね。
国がなくなり、再び国を持つまで2000年間もかかってしまった。
「主にあっては千年が一日のようだ」といいますが、人にとってはちょっと長すぎるにもほどがある期間です。
ヨシヤ王の失敗の影響が大き過ぎます。
歴史ってのはほんとすごい。
今週、先生は「神様がやりなさいとおっしゃったら、やりなさい」と何度も話していましたが、ちょっとその重みが伝わってきますね。
先生はとても平易な表現で話すので、僕らもうっかりするとその深みを悟れずさらっと聞いてしまいますが、分かればわかるほど切実な内容です。