「熱心」とは、無秩序に燃やし尽くす炎ではなく、強火と弱火を治められる火。

今日の御言葉では「熱心にやりなさい」といいました。

熱心にやらなければ苦痛を受けるようになるといいます。

楽にばかりしていると、楽ではあるけれどそれによってよくないことが起こらざるをえません。

なぜなら、サタンは私たちが楽をしている間も熱心にやっているからです。

いくら有利な状況であっても、熱心にやることをやめた瞬間からだんだんとサタンとの距離が縮まり、ついには追い抜かれるようになります。

童話の『ウサギと亀』でもおなじみですね。

以前ポンソクさんから聞いた話を思い出しました。

「熱心に走らないことで人の車の後ろを走るようになる。排ガスを吸いながら走ることが気分が良いだろうか。」

全文まるまる覚えているわけではありませんが、そういう意味の言葉でした。

だから熱心に走る必要があります。

摂理の人は、先生が熱心に走った条件をもらっているためにかなり自由でいることができています。

でも、これからは自分たちで熱心に走らなければなりません。

熱心に走るコツは「神経を鋭利にして」行うということです。今週の主日の御言葉で教えてもらいました。

私たちが誤解していたのは、「熱心さ」を「まわりのことは気にせずやる」とか「無理をしてでもやる」と考えていたことでした。

そうすると神経が鈍くなり、繊細な仕事ができなくなるといいました。

って、この瞬間にマウスが動かなくなりました。

左クリックが効かない。致命的です。

最近PCやマウスをリュックに入れて持ち歩いているのですが、たぶん扱いが雑だったのでしょう。壊れました。

このように、神経を鋭利にしていないと繊細な機器はすぐに壊れます。

すると仕事は遅くなるし、余計な出費はかかるし、良いことはありません。

本当の「熱心さ」は、そういう無理やりなものではなくて、もっとスマートなものです。

主日の御言葉の中では「悠々と行いなさい」という話もありました。

火も、無秩序に燃える火では扱うことができません。火力が調節できて強火と弱火が使い分けられてこそおいしい料理ができます。

この神経もうまく治めて、良いものを作るところに使いたいですね。

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