年末の裁きに関する御言葉でした。
先生はよく話しますね、「年末には裁きがあるんだよ」ということを。
裁きというと直感的に「怖い」と思いますが、それは1年の総括として点数がでるのだということでもあります。
長いようで短かったこの1年。
1年間をみんなそれぞれ走ってきて、振り返ったときに良かったことダメだったことがあると思いますが、神様から見たときにはどうだったでしょうか。
僕も、走りながら途中で自分がなんのためにやってんのかわからなくなったこともあります。
しかし、何をしてきたのか、その点数は後になってわかるのだと言いました。
後になって祝福があって「ツラかったけどやっておいて良かった」と心が穏やかに過去を振り返ることもあるだろうと思います。
逆に、全然できてなくてケツに火がつくこともあるかもしれません。
でも、たとえ神様に怒られるんだとしても、それは罪をキレイにすることだから結局は祝福なのだと言いました。
どんな時も主と共にできることが感謝なことです。
いろいろな祝福がありますが、私たちにとって一番大きな祝福は「御言葉を聞けていること」ですね。
御言葉があるから自分を省みて、良かったところはもっと行ない、悪かったところは治していくことができます。
また、御言葉を聞いて「知っている」から、将来を希望で走ることができます。
御言葉がなかったら、2018年も「なんとなく」過ごしてしまったかもしれません。