止めても、理解されなくても進まなければならない。

人がわからなくてもやらなければならないとおっしゃいました。

個人個人にすべきことがあります。

それは人にはわからないことも多くあります。

だから、先週の御言葉「主とともにしなさい」があるし、今週の「御心通りにしなさい」があるんですね。

日本は最近個人主義になりつつありますが、昔はそうではありませんでした。

僕が子どものころはそうではなかった。

みんな同じテレビ番組を見て、みんな同じような生活をして、働いて結婚して、退職して年金もらって余生を過ごす。

それがだんだん変わってきて、個人の時代になった。多様性が広がり、悪いところでは格差も広がっています。

一人一人やるべきことが違う時代になりました。

神様はすべての人に共にして答えをくださいます。

その答えをつかんでやる必要があります。

しかし、止める人もいます。

わからないからです。

先生も、先週の水曜日の御言葉の中で、広告としてですが、心情を痛めている話を少ししていました。

みんなのマナーがないことについて話していました。

という矢先、僕が座っている椅子を後ろが何度も蹴っ飛ばす人がいる。

すごく気が散りました。先週の水曜礼拝はあまり御言葉聞けませんでした。

「映画館でもそれやらないよ、御言葉聞いてる人がそれでいいのか」と思ってました。

誰が蹴ってたのか、御言葉後に帰るふりをしながらちらっと確認してしまいました。今週の日曜日に聖歌隊をやる予定でしたがキャンセルしました。

先生は、止めても、十字架につけられても前に進みます。

先生の経験してきたことは一般の人とはあまりにも違っており、その気持ちを理解することは簡単ではありません。僕らには戦争の経験も投獄の経験もないから。

そして、先生だけでなく、今は個人の時代ということもあり、昔と違って人によって事情が違い、どんな人でも簡単に判断してしまうことはできません。

知らずに心情を痛めてしまうことが無いように、マナーも守って行いたいですね。

秩序。

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