信仰とはなんだろう

信仰をもつことは、難しいことのように思えます。

第一、信仰とはなにかがわかりにくい。

そしてウサンクサイ。

そこで、僕なりに以前考えたことをまとめました。

信仰について、聖書にはこう書いてあります。

「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」ヘブル10:1

わかりやすくいうなら、「希望的な未来が起こることを確信している」ということです。

さらにウサンクサクなってしまいました(笑)

未来を知ることなんて出来なそうですが、ほとんどの人が、精度の差こそあれ、そんな「予知能力」ぽいものはもっています。

例えば、キャッチボールをするとき。

投げる前から、どこらへんに落ちるのかを知っています。

「あの人はあのくらいの力だからボールを投げたら放物線を描いてここらへんに落ちるだろう」

なんて考えません。

高度な心理学や物理演算などを駆使しているわけではないのに、私たちは飛んできたボールをキャッチすることが出来ます。

ものすごい予知能力です。

もちろん、ボールを全然キャッチ出来ない人や、とんでもない方向へ投げる人もいます。

しかし、基本は変わりません。

ボールが飛んでいる途中で180度軌道を変えて自分に戻ってきたり、相手が急にスーパーサイヤ人に変身して豪速球を投げてくることはありえません。

もしかしたらそういうこともあるかもしれない。。。
そう考えていたら精神耗弱で病気にかかってしまいます。

「ボールはこの様に飛んでくる」
「あの人はこう投げる」

無意識にそう信じているから、キャッチボールが楽しめるのです。

キャッチボールだけでなく、もっと長いスパンでも、私たちは未来を確信しています。

この記事を書いているのは夜ですが、あと10時間もしたら太陽が登って朝になっています。

最近寒くなってきましたが、これからもっと寒くなっていきます。

あと50年もしたら、みんなおじいちゃんおばあちゃんになっているか、もう死んでいます。

これらはみんな、まだ起こってないのに私たちが知っていることです。

聖書には、もっともっと長いスパンでの未来が描かれています。

そして、そこに書かれているのは希望的な未来です。

私たちが信じているのはそういう希望的な未来、それを信じ仰いでいる、つまり信仰しているのです。

摂理ブログのポータルサイト