愛の人イエス様〜摂理の便り〜

会社の会長が亡くなりました。
今朝、最後のご挨拶をさせてもらいました。
社葬なので、通夜と告別式の準備を私もお手伝いすることになりました。
また、私はやりませんが、得意先への連絡や、保険の準備などいろいろ忙しくなります。
「まるで保険で生きるかのようだ。
『イエス様の十字架によって私たちが救われた。』と言われるのは、
たとえるなら、一家の主人が死んでしまい、その保険金で家族が生きるようなものだ。
主人が生きていたなら、どれほど良かっただろう。」
以前リーダーがこんな話をしてくれたことがありました。
会社には多額のお金が入ってくるのだと思います。
しかし、イエス様はこう言いました。
「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」マタイ16:26
↓他のメンバーのブログもご覧ください(^◇^)↓
摂理ブログのポータルサイト

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA