析という漢字についての御言葉がありました。
以前は明について話してくださったこともありました。
漢字には言外のメッセージがたくさん含まれている、ということがわかり、文系人間にはとても興味深い話でした。
義も何度か出てきたことがありました。
義という漢字は、一般的には使いません。
誰かが義とか正義とか言っても、おかしいというか大げさというか、不自然さを感じます。
なぜそう感じるかは一概には言えませんが、長い歴史の中でそうなってしまった風があります。
以下は小説ですが、司馬遼太郎著「項羽と劉邦」からの抜粋です。
義は、正しさのために自然の人情を超える倫理姿勢をいう。この語感には、後世、「外からかりたもの」という意味が加わってゆく。この当時から、すでに「実行上むりはありながら」という意味もことばのなかにまじっていた。
言葉もいろいろないきさつを経て今日に伝えられ、それが私たちの認識になっているんですね。
義に比べると析は、御言葉で「よくわからない」といわれていたように、複雑ないきさつがなく、純粋な言葉であるといえます。
先生の名前に加えられたことで、これから良い意味をたくさん持つ漢字になっていくのではないでしょうか。