今朝の御言葉では「先生を守る祈りをしなさい」と仰いました。
今の時代だからおっしゃる話ですね。
なぜなら、主人は僕に対して守ってほしいとは言わないし、親も子どもに対して守ってもらいたいとは思わないからです。
主人が僕たちの生活を守らなければならないし、親が子どもの面倒を見なければならないのであって、その逆はあまりありません。
稀な例として、優秀な部下が主人を助けるという例はあります。
旧約聖書にも、その時代の中心人物が王を助ける例がいくつか出てきます。
子どもが親の面倒をみるというのも、たまにはあります。
失踪した父親の代わりに子どもが稼いで母親を助け、大きくなってから父親を探すという話を、昔テレビで見たことがあります。
しかし、それは一般的な話ではありません。
主人は僕が生活できるように給料を支給することが法律で決まっているし、親が子どもの面倒をみるべきことも法律で決まっています。
ところが、恋人の場合は違います。
どちらかがどちらかを一方的に助けるわけではありません。
役割の違いはあるけれど、その行なうことは相方を助けるためのものです。
成功者はよく「妻がいたからこそ、今の自分がある。」ということを言います。
自分の努力だけで成功したわけではないのだということです。
あえて固有名詞を使いませんが、巷では、男の運勢をあげる女性、また逆に男の運勢を下げる女性というものがいると言います。
「自分はどういう内助ができるのか。」
そういうことを考えないといけないですね。
玉の輿に乗りたいとか、先生についていけばいいことあるんじゃないかとか、そういう新婦は先生の足を引っ張るだけです。
新郎は宝くじじゃありません。
玉の輿に乗りたいなら、男が玉の輿を準備できるようにしっかりサポートしてあげないといけませんね。
先生が良くおっしゃる「内助」が必要だということです。