「今、新しい歴史は独立した。それなのに、あのときの習慣と体質をそのまま持っていたら、歴史が独立して平和な時代が来ても、同じアベル同士、同じ兄弟同士が戦い争うようになる」
争う時代はもう終わったから、古い体質はもう捨てないといけません。
これから先、争う性格をそのまま持っているのは、戦争が終わったのに気がつかないで銃を持ってジャングルをさまようようなものではないでしょうか。
しかしそうは言っても、何があっても争わないというのは本当に難しいことです。
自分の性格が完全でないせいもあるし、家族や周りの環境がそういう環境だった人もいるだろうし、何より人類史はじまって以来ずっと争ってきた歴史なので、その体質が染み付いているというのもあります。
これは摂理では遺伝罪と呼んでいます。
この問題について、日曜日に一つの答えが与えられました。
私もはっとしました。
自分が争ったり憎んだりすることで自分だけが損をすればまだ良いのですが、そうではないんですよね。
自分が大切にしている人、その人にも影響が及ぶんです。
今週は続けてこのことについて学ぶ良い機会が与えられました。
御言葉から直接指導を受けて、漸進的に一つ一つ解決していきたいと思います。
平和に関して学ぶには、先生を通してしかありえません。
人は平和を口では語りますが、どうしても最終的には「自分が大事」になってしまうことが非常に多いと、今までのいろんな経験を通して感じています。
自分が安泰なときはいくらでも平和に過ごせますが、ひとたび状況が悪くなると自分の保身に突っ走る。
そういう人をたくさん見てきましたし、今現在平和を語っている人のほとんどがそうでしょう。
しかし先生は、戦争で銃を突きつけてきた人に駆け寄って抱きしめた人です。
乞食を家に呼んでもてなした人です。
どんな環境でも、健康が悪化しても、耳を傾ける人にはその人の悩みを解決する人です。
今もそうしています。
世の中で他の誰を通して真実な平和を学べるでしょうか。