考えの次元が低いとどんな風に見える? 摂理の便り

今日の明けがたは久しぶりに聖殿でお祈りができました。

ちょっと遅刻もしたので申し訳ない気持ちで小さくなっていましたが、
御言葉を聞いているうちにどんどん力が湧いて、考えが良いほうに流れていきました。

たくさん遊んですっきりしました。

それで礼拝でも遊びたいなあと思っていたんですが、
礼拝ではちょっと遊び、そしてたくさんの悟りが頭に浮かんできたので
それをどんどん書き留めることに時間を多く割きました。

では書き留めたことをシェアしたいと思います。

今日の御言葉は「考えの次元が高ければ一つに見える」でした。

この御言葉について、とても実感をこめて語ることができる体験をしているので、紹介しますね。

箴言の中で、視力が低い人は物体が二つに見え、、、っていうのがありましたね。

箴言88番でした。

僕は視力がとても低く、御言葉の通り物体が二つに見えたり、ぼんやり見えたりします。

裸眼で0.04しかありません。

最近極力めがねをしないようにしているのですが、それは魂の時代なので心の目で見たいっていう理由でそうしています。

では具体的にどんな風に見えているのか。

たとえるなら、印象派の絵のように見えています。

Monet

こんな感じですね。

とても幻想的なんです。

考えの次元の低い人はこんな風にぼんやりとした観念を持っていますよね。信仰的にも。

ちなみに僕はモネは好きです。
目が悪い人の見ている世界を具体的に示したくて引用させていただいています。

考えの次元の低い人は見えている世界がとても幻想的なので、神様が雲に乗って現れる、というのも信じることが難しくないんですね。

上の絵が現実だとして、その中に神様がパァァァッと光り輝いて現れたらなんか素敵な気がしませんか(笑)

天使がラッパをプーとか吹いたりしてね。

そんなのがあったらいいなってちょっと思ってしまう。

そして信じてしまうんですね。

彼らの信仰観がわかりましたね。

それから、考えの視力が低いままでいると次のような現象が起こります。

先日のバレーボール、めがねをしないでやったんですが、もう、ものすごかったですね。

みんなの次元が上がりまくりでびびりました。

誰だったか、相手のサーブ、途中で消えるんです!

いつのまに消える魔球を覚えたのかなって、度肝を抜かれました。

あと、レフトのあのうまい人。

あの人のアタックってボールが分裂するんですよ!

2020年のオリンピック目指してみないかって、いってやろうかと思いました。
東洋の魔女もビックリだよって。

・・・と、こんな現象が起こるわけですが、これはデタラメを言っているわけではありません。

そう見えるわけですから。

消える魔球は誰も信じてくれないと思いますが(笑)、世の中には巧妙な偽りがたくさん存在します。

彼らが語る言葉は本音であり、見たままを話しているわけですから説得力があります。

それで、その言葉に流される人たちが多いんですね。

彼らの言葉は正しいとも言えますが、条件があります。

目が悪いという条件を前提とした場合に限り、彼らは正しいんです。

だから、次元が高い、光の子であるあなたは見ても聞いてもいけませんよ。

「彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。
彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。」ヨハネ8:44

じゃあ今日も、変な人のいうことを聞かないで、主を愛していい子にしているんだよ。