日曜日の明けがた、また御言葉を聞きながら遊んでいました。
明けがたはやっぱり一対一の時間ですね。
主日、水曜、金曜とは違う味があります。
僕は明けがたが一番好きです。
一番親密に接してくれる感じがします。
しかし問題が一つあるんですよね。
それは、僕が起きられないことです。
・・・
明けがた、ふと今週の聖句が聖霊に関することだったのを思ったときに、浮かんできた言葉がありました。
「聖霊様は香水のようだ」
この言葉、以前先生が仰ったことがあるんです。
香水のようだって。
聖書にそんな記述はないんですが、別にいいんだって。
その言葉を思い出して、ずーっと頭に残っていたんです。
御言葉が終わって、聖殿に人がいなくなっても残っていました。
それで、それを持って帰って、家でもずっとこねくりまわしていました。
それでまた聖殿に持って来ました。
・・・
さて、今週、聖霊を受けるには100%の条件を立て、御子と分体に認められなければならない、と仰いました。
そうしてチョウンさんが初めて聖霊を受けた話になりましたね。
2009年、摂理にとってとてもつらいときでした。
僕もあまりにつらくて簡単には人に話せないような経験もしているので、思い返すたびに今まで後悔ばかりしていたんですね。
でも、今日の御言葉を聞いて考えが変わったんです。
100%の条件を立てるのって、順風満帆のときには難しいんですよ。
うまくやっていても、「あーそれ、あんたの状況がいいからできるんでしょ。あんた本当の艱難にあったらどうせ人変わるでしょ。」ってサタンがいくらでも突っ込めるからです。
旧約聖書にこういう記述があります。
お金持ちで神様ラブなヨブって人について、サタンが神様にこういったんです。
「しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう。」ヨブ1:11
そうしてサタンはヨブの持ち物を全部奪い、家族を殺し、ヨブを病気にしました。
しかしヨブは最後まで耐え忍んで、以前の2倍の祝福を受けるんですよね。
人の本性って、逆境のときにでます。
摂理の逆境のとき、あなたはどうしていましたか。
チョウンさんはその時聖霊を受けました。
かたや、先生を恨んで裁判にもっていった人もいました。
これって、裁きですよね。
だから、逆境のとき、どれだけ主を愛せたのか。
それが問題なんです。
そういう意味では、2009年前後にあんな状況だったにもかかわらず主を愛して過ごした人は、最近来た人より大きな条件を立てているといえるんじゃないでしょうか。
僕にとっても大きな自負心になりました。
なにより先生。
あれだけのことがあったのに毎日御言葉伝えてくださっていますから。
しかも次元をあげているんです。
もうこの御言葉が止まる理由がなくなりましたよね。
霊が生きているんですよ、最悪の状況になっても。
そして肉体も生きているんです。
ダイヤモンドより固いですよね。
そう、ダイヤモンドです。
ダイヤモンドだったらもう手に入れるしかないでしょう。
っていうか、なんか自分の考えと合わないからどうのとか忙しいからどうのという意見もありますけど、自分がどうこう以前の問題で、価値があるんだから手に入れておくべきですよね。
ダイヤモンドを見て、「私の願うカットとは違う」といって燃えないごみに捨てないでしょう。
価値を知らないといけないんです。
使い方を知らないといけないんです。
価値が分かったら、手放すというという選択は何が何でも阻止したくなりますよ。