過去にまいて、現在に収穫だ。
御言葉の後に説教者も話していたんですが、
私たちがまいたものもあるにはあるんですが、
それより主が私たちにまいたもののほうがずっと多いですよね。
主が私たちにまいたものを、私たちが自分のものとして刈り取っています。
それを実感するのは、何か行うときに、ぱっと御言葉が浮かんでくるときですね。
どっちにしようか悩んだとき、「あ、こんな御言葉があったからこっちにしよう」
って決めること多くないですか?
御言葉に助けられていることを実感しますよね。
一日に何百回何千回と何かを選択する機会があると思うんですが、
そのたびに私たちは御言葉で判断できるのが大きいですよね。
いつも御言葉通りにできないことはありますが、
脳にインプットしているものが良いものなので、
アウトプットも自然と良いものになってくるんですよね。
まさにこれが主に導かれているってことですよね。
御言葉がなかったらどうでしょう。
朝起きて、仕事して、帰ってテレビ見て寝る。
そういう生活だったら、どうでしょうか。
楽だけど、脳にテレビで見た映像がびっしり詰まっています。
ものごとの判断材料がテレビしかないんです。
悩みがあってもテレビから答えを探すしかないし、
人の役に立ちたいと思ってもテレビから材料を探すしかありません。
そんなの、絶対自己嫌悪に陥ると思います。
日本が自信をなくしてしまったのって、
こういうところからきているのかもしれませんね。
でも自分で気づいていない。
よくわからない苦しみから逃れるために、
もっと楽なほうに流れています。
「パンとサーカス」って言葉を知っていますか?
古代ローマの詩人が、当時の世相を風刺して使った言葉です。
ネロ帝の時、クリスチャンを大迫害したネロですね。
あの時代、権力者は民衆の支持を得るために「無償で」食べ物と娯楽を提供していたそうです。
それが民衆の堕落につながり、ローマが退廃したという説があります。
どこか現代と似ていますね。
大規模な金融緩和政策がずーっと続いています。
また、政府の政策ではありませんが、食べ物も非常に安いし、娯楽もタダのものが多いです。
お金を払うのが嫌なら一日中youtube見てたりスマホの無料アプリやってれば時間がつぶれる時代です。
近い将来、どうなるでしょうね。
御言葉を読んでいても、少しそういうのが頭によぎる場面がありました。
あ、でもこれは何も心配することではありませんよ。
たまにいうんですが、
これは一方向から見たら退廃なんですが、
霊的に見れば転換期ということです。
御言葉の学び初めに習いましたよね。
だから何も悲観することはありません。
もちろん遊んでばかりいる人にとってはどんどん退廃していく流れに
身を任せるしかないのですが、あなたは違いますよね。
世の中の激しい濁流にも流されない強い芯があるからです。
摂理の御言葉を聞いているからです。
御子と生きているからです。
主がまいてくれた種があるので、それぞれに刈り取るものが多いので、
飢饉が起きてもその実を取って食べて生きていけます。
それを飢えている人にあげたら、喜ばれますね。
その人も救われます。
救いの御言葉だからです。