御子岩の形象、いくつわかりましたか?
僕は御子、分体、聖霊様、神様、足の5つでした。
形象を探すの楽しいですね。
早くファントムとチーターもわかるようになりたいです。
あと、隠された8つ目の形象、あれが1番気になりますよね。
僕は早く見つけてまじまじと見ていたいです。
岩に様々な形象を見つける作業って、大人の遊びですよね。
たとえるなら、枯山水とかね。
または陶磁器とか、絵画とか、それに近い感覚ではないでしょうか。
だから子供にはあまりよく価値が分かりませんよね。
ただの岩、ただの砂の庭、ただの茶碗、ただの落書き。
何を見ても同じ、何を聞いても同じ、何を食べても同じ。
大トロを食べて「脂っぽい。」というのと同じです。
私たちは大人の洗練された感覚を持ちましょうね。
宝を見つけることについて、もっといろいろ書きたいことがあるんですけど、お金の例えも使いながら説明したいこともあるんですけど、今日は別の感動があって、今書かないと忘れてしまうのでそれをシェアしたいと思います。
それは、条件代価についてです。
月曜日、会社から帰ってきて部屋に入ったときに「ふとん洗濯しとくんだった」という肉的な考えと同時に、主は条件代価の方だっていう言葉が浮かんできました。
条件代価、あなたも知っていますよね。
神様は条件代価の方です。
「わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」マタイ10:42
まだ新入生のときは、これ本当かなって思ったんです。
でもその時万物啓示を受けたんです。
壁にボールを当てると跳ね返ってきますよね。
あれと同じで、っていうかあの法則は神様が創ったので神様がオリジナルなんですが、ボールが跳ね返ってくるのと同じで神様にしたことは返ってくるんです。
しかも、壁に当てたボールは力が弱くなって返ってきますが、主への行いは大きくなって返ってきます。
小さな条件、大きな対価ですから。
実感ベースで話すと、先生に何かしてさしあげたとすると、先生はもう信じられないくらいの強烈なお返しをくれます。
本当です。
これを実感するにはもう行ってみる以外にありません。
人は、基本的に悪いことをされたらそれに対しては大きな反応を示しますよね。
「馬鹿」っていわれたら「お前がな」って言い返したくなるじゃないですか。
倍返し、10倍返ししたくなるじゃないですか。
でもそれがエスカレートして起こるのは戦争だけです。
私たちが挑戦すべきなのは、愛に対する反応でしたね。
愛したら、愛し返す。倍返し、10倍返しする。
それがエスカレートしたら愛の歴史が起きます。
それをどんどん行っていきたいですよね。
私たちは愛の主管圏の中で生きているんだから、主との愛の応酬をどんどんエスカレートさせて、やられたらやりかえして(笑)理想をなしていきましょう。