祈ることと伝道すること 摂理の便り

今朝、明け方のお祈りの時間が変わったのを忘れていて、昨日までの時間に聖殿に行きました。

聖殿に入ろうとすると、入れ違いで帰る人がちらほらいました。

帰る人たちはおしゃべりをしていたんですが、なんでか昆布巻きの話をしていました。

昆布巻きです。朝起きて、僕が初めに耳にした言葉が昆布巻きだったんです。

それから僕はどうなったと思いますか?

ずっと、昆布巻きが頭から離れないんです。

お祈りをしていても、「あれはなんだったんだろう」って気になるし、会社に着いてからもことあるごとになぜか浮かんできました。

何がいいたいのかというと、

一日の初めに何を頭にインプットするかがどれほど重要なのか。

ということです。

すごい話のもっていき方でしょう。

朝起きてすぐ携帯を見る人いますけど、あれはいけませんよね。

主とのスマートフォンを取るのが先です。

そうでないとどうなるか、もうわかっていますよね。

初めの行いが終わりまでずっと続くんです。

初めが愛なら最後も愛。

初めが昆布まきなら最後も昆布まきです。

自分をよりよいところに連れて行くために、いつも主を優先して選ぶ習慣をつけたいですね。

さて、日曜日は祈りと伝道の御言葉でした。

新入生向けの御言葉でしたが、これは新入生にとって大きな祝福でしたね。

なんでかって、イエス様が一番弟子ペテロにはじめに話したのも「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」マタイ4:19でしたからね。

先生の御言葉はやっぱり聖書をベースにしていますね。

あなたがはじめに聞いた主日の主題はなんでしたか?

それをすぐに実践できましたか?

僕が初めに聞いたのは「証しなさい」でした。

しかし、聞いてもしばらくは何も証できませんでしたね。

それも何年も。

悟ることはたくさんあったんですけどね。

日常のほんのちょっとしたことからいろいろ悟りが湧いてくるので、いろいろネタはあるんです。

しかし口が重いので、まったく相手に響く証ができませんでしたね。

僕が話しても、「は?」って言われて手を耳に当てられたことが何回あったことか(泣)

昔あったことで面白いのが、みんなで旅行に行く計画を立てていたときです。

僕が「これしたら面白いな」って思ったことがあったので提案してみたんです。

まあ、ボソッと言った感じでした。

みんなは「うーん、まあそれもいいけどねえ・・・」といった感じでうやむやになって、話は先に進みました。

しばらくして、別の人、その人はとても明るい人なのですが、その人が僕とまったく同じ提案をしたんです。

「ねえ、これやってみようよ!」って。そしたらみんな「それいいね!」っていいました(笑)

そのくらい僕の話には人を引き付ける力がないんですよね。

それでも主からもらった証ネタ、啓示は携帯やノートに書き続けていました。

そうしているうちに、世の中でブログっていうのがはやりだすんですよね。

僕は文章で証するようになりました。

はじめて聞いた「証しなさい」って御言葉を、今では得意分野で実践できるようになりました。

何でも最後まで行ってみないとわからないですよね。

もちろん今でも口で人を伝道するのが夢です。

しゃべって人を感動させて、悟らせて、なんてかっこいいですからね(笑)

話は変わって、最後までいかないとわからないという流れで、先生の絵を売ってしまう人の話について。

御言葉を聞いた誰もがびっくりしたと思うのですが、あえてここでは信仰者としての是非という面からではなく、もっと冷徹な目で見た場合にその選択が得だったかについて語ってみようと思います。

彼らが絵を売った目的は、お金ですね。

それだったら、売らないでずっと持っていたほうがもっと価値が上がりますね。

摂理はこれからどんどん価値が高くなります。

摂理を悪く言う人でさえ、「先生が監獄を出てからが問題だ。彼は何か大きなことをするに違いない。摂理は拡大するに違いない」って警戒してるのに、御言葉聞いている人がそれをもっと知って期待して待っていないといけませんよね。

知らないってことがどれほど怖いか、ですよね。

ウォーレン・バフェットは買った株を10年20年持ち続けています。彼は「買った銘柄と一生を共にする覚悟」といいます。そうして世界第二の金持ちになりました。

ましてや先生からもらったものを数年で、数十年で、数百年で売って本当の価値を享受できるのでしょうか。

子供、孫、ひ孫玄孫・・・までずっと語り継いでほしいですよね。

数百年たってから「この絵はな、お前のご先祖様が功績を立てて先生から頂戴したとてもとても貴重なものなんだよ」って子供に語りついてほしいですよね。

それで子供が「いつもその話ばかり!」っていって遊びにいってしまう姿が浮かびますよね。

大きな視点でものを見なければいけませんね。

今日明日のことだけじゃなく。

現金なんて、あっというまになくなります。

とくに今は、世界中の中央銀行がお金を印刷しまくっていますから、お金の価値はどんどん下がっています。

インフレになる可能性が極めて高いのです。

100万円が1万円の価値しかなくなる、そんなことがいつ起きてもおかしくありません。

「現金で持っていることが一番危険だ」なんていう意見もあるほどです。

お金も大事なのは確かですが、結局お金なんて何かを行うための手段にすぎませんからね。

それが目的になってはいけませんね。

そして最後に、私たちが気をつけなければいけないことがあります。

先生の絵が市中に出回る、ということです。

先生の絵を見て、どういう経緯を持っているのか、誰の持ち物か、本当にもらったものなのか、買ったものではないのか、はっきり知る必要があるということです。

ますます私たちは繊細な感覚を持つことが必要になりますね。

感覚を磨いて、魂も磨いて、体も磨いて、霊も磨いて、かっこいい、素敵な勇壮で美しく神秘的な新婦になりましょう。

“祈ることと伝道すること 摂理の便り” への2件の返信

  1. コメントありがとうございます!
    返信が大変遅くなりすみません。。。
    変なコメントがつくのが怖くて見ていなかったのです(^^;)
    時には信仰生活を冷静に見つめてみることも必要ですよね。

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