会社が水、金定時退社日で、どんなに忙しくても礼拝のある日は帰れるラッキーな職場なのですが、最近水金も残業になってきました。
それで金曜は御言葉が終わってから聖殿に行きましたが、それでも主がそばにいて恵みを与えてくれました。
少しすれば落ち着くと思うのですが、しばらくは、毎朝メールボックスをチェックするたびに山のような新着メールが届いている光景を目にしそうです。
摂理では社会は実践の場だといわれますが、忙しいときは特に実践のしがいがありますね。
水曜日に「小さいことから行いなさい」って仰いましたが、これがモロに使えました。
朝メールボックスがパンパンになっているんですよ。
普通に考えたらどうしたらいいかわからないですよね。
でも「小さいことから行いなさい」っていう裏技を知っているんです。
わかりましたーっつってとりあえず手をつけていくんです。
するとそのうち終わります。
それであー感謝だなーっていってパンを買いに行って、パンについているシールを集めるわけです。
もう少しでミッフィーカレープレートがもらえるくらいたまります。
ためても交換しないかもしれませんけどね。
ためるのが楽しいだけなんで。
自分の仕事が終わったら隣の人の仕事を手伝います。
隣の席の人は御言葉聞いていません。
朝、メールに圧倒されて、真っ青になって「えーどうしよう」って言ってメモリがいっぱいになって動作が遅くなります。
それで仕事が進まないと上司に「何やってるんだ」って言われて、事情を説明して、1時間くらいミーティングする。
ミーティングから戻ってくるともっと仕事が増えていて、じゃあ支援を求めようということになって、経験のある人を呼んできて、業務説明をする。
そうこうしているうちに、もう夜です。
本当に天と地の差があります。
なんでそんな差が生まれたのかっていうと、たった一言「小さいことから行いなさい」っていう御言葉を知っていたかどうかなんです。
たった一言です。
僕と隣の人は平常時の仕事のパフォーマンスはそれほど変わりません。
むしろ彼のほうが早いです。
自分でマクロ組んで仕事効率化しているし、ディスプレイ3台持ちで見た目もできる感じです。
僕はマクロ組めないし、ディスプレイ3台の代わりに菓子パンが机の上に置いてあります。
ただ、違うのは御言葉を知っているだけ。
「だけ」はおかしいですね。
先生からもらっている御言葉っていうのは、マクロ組めるとか、仕事効率化虎の巻を知っているとか、資格持っているとか、そういう表面的なスキルとは違います。
どんな仕事をするときも、何をするときでも、流行廃りに左右されず、永遠に使える、それが御言葉です。
しっかり自分のものにしていきましょう。
話は変わって、水曜礼拝の後にポンソクさんのブログ「古木」の紹介がありました。
出会いと対話
ログインすることで記事を読むことができます。
そこでポンソクさんがブログを書く目的などを話していただいたんですが、、、、
同じブログを書いているものとして、本当に自分が恥ずかしくなりました。
どんな目的だったかと言うと、聞いているうちに自分が恥ずかしくなってきて耳を閉じてしまったのであまり覚えていません(笑)
ただ、先生を証しようとするその一心だったのは覚えています。
先生のことを生涯を通してご存知であるポンソクさんにしかできない話もありました。
そんなのとても今の僕にはできません。
できないんですが、じゃあ無理して背伸びして立派な証をすべきかというと、それだと続けられないんですよね。
無理して御言葉を真似して書いた文章を気に入ってもらえたとして、「すばらしいです、どうしてこんな文章が書けるんですか」って言われて、「いやあ、まあコツとしては、御言葉のコピペかな」っていえないじゃないですか。
ですので、たとえ足りないんだとしても、比べないで正直に書こうと思っています。
正直に書いていたら、気に入ってもらえてもそれが自分の本性ですから、それはとても嬉しいことです。
正直にやってたら足りないところもあからさまになるので、あとは実践するうちに修正していけばいいだけです。
ところで、ポンソクさんが生涯を通して先生のことをご存知であるがためにポンソクさんにしかできない証があるのと同じように、当世を生きている私たちにしかできないことってありますね。
後世にはけっしてできないこと、今やっていますよね。
引き上げです。
この時期を逃すと二度とできません。
先生がいないから。
後世の人からしたら、私たちの話を聞いて「うーむ、すごい・・・とてもわれわれには無理だ」って思うわけです。
そう、われわれは偉大な先人たちなんです。
後世から見たら。
ともに走る兄弟の顔を思い浮かべていただければ、みんな偉大な顔をしていますよね。
していますね。
アーメン。
毎日何気なく過ごしていますが、とても大事な今のこの期間だから、自負心をもって大切に過ごしましょう。
ちなみに僕がブログを書く目的は3つあります。
1、主と近くするため
2、ライティングの勉強
3、世の中に証する
もうポンソクさんのブログの目的に比べたらちっぽけで恥ずかしいばかりですが、これが正直な目的です。
1については、社会人として、どうしたら距離は離れていても心が離れないかを考えに考えた結果です。
社会人、普段一人ですからね。
ほっとくとどんどん流れていくのを以前から如実に感じていました。
それでどうしたら、どうしたらずっと近くにいられるんだろうってすごくもがいていました。
会社を辞めて自由人になって御言葉の実践に専念するのもいいですが、まだそれだけの資本がない、その結果、文章でメッセージを送ることにしました。
そばにいてほしかったからです。
これが僕の文章を書く大前提です。
もしかしたら先生も同じところはあるかもしれません。
たぶんこの期間、先生が毎日御言葉を送らなかったら私たちは世の中に流れていますよね。
それを引き止めて引き上げをなさせようと御言葉を毎日送ってくださっていることが本当に感謝です。
2については、文章を書く勉強のためにブログを書いています。
文章はどこにいても使えるツールです。
監獄にいても。
そういう風に、先生が血のにじむ実践を通して道を開いてくださったツールです。
だから文章力を磨いておけば、将来どうなったとしても大丈夫ですね。
3については、もともとブログをはじめた目的がそれでした。
世の中に先生を証するぞっていう目的が一番でした。
でも、それだけだとモチベーションとして弱いっていうのを、実践していて感じるようになりました。
証するぞっていうだけだと漠然としていて、実践しているうちにまるで宙に鉄砲を撃っているような空しさを感じるようになりました。
それで好きな人に向けて書くっていうのに気づいて、それが今は一番のモチベーションになっています。
今では文頭に御言葉を入れていることがありますから、はじめてこのブログに来た人は「なんじゃこりゃ」っていってすぐページを閉じるはずです(笑)
そうして読む人が限定されていきます。
ブログって誰でも読めるように公開されているものなので、誰が読んでいるのか心配になるかもしれませんが、そういうのはあまり心配ないと思います。
読むっていう行為は体力がいるし時間もかかるので、その文章を気に入ってくれる人以外、どんどん離れていきます。
街頭演説なら、それが耳障りなときは「うるせー」って言いますが、ブログなら「閉じる」ボタンを押すだけなんで。
だから愛している人に向けて書く、実践する、これがとても大事です。
かっこつけて書くと、かっこつける霊が寄って来ますから、無理して立派な証をしようとするのはおすすめしません。
是非、あなたも何かするとき、好きな人に向けて、っていうのが継続する力になりますので、実践してみてください。