魂のこもった言葉 摂理の便り

水曜礼拝が終わった後に、
先生に接見された人の話を
聞きました。

話を聞くだけで、
まるで自分も接見の場にいるように
情景が浮かんできました。

体験した人の話は
伝わってくるものが違いますね。

体験をしていない
僕が同じ話をしたとしても
誰も感動を受けないでしょう。

牧会者が
「先生の魂が来て伝えてくれましたね」
と話していましたが、
これが魂の働きか、
と実感する時間でした。

体験をしているかしていないか。

それが人の話を判断、分析、確認する上で
重要になってきますよね。

先生の話はいつも体験をもとにしています。

先生が「最後まで行いなさい」
と仰るのも、
先生が実際に接見の人を最後まで待った
ときに悟ったことを伝えてくださっています。

だから力があるんですね。

ぶっちゃけ「最後まで行いなさい」
という言葉は御言葉以外でも聞くことはできます。

「諦めたらそこで試合終了だよ」

って聞いたことありますよね。

でもその言葉を聞いて
最後までやる気になるかっていうと、
どうですか。

どっちかっていうと、
落ち込んでる人を茶化すためのネタとして
使うことが多いですよね。

深刻にあきらめようとしている人に対しては、
むしろ使うとさらに落ち込ませてしまう言葉です。

御言葉と文章の内容は同じなんですけどね。

同じなんですけど、違うんです。

まったく違う。

同じ言葉なのに、
人の運命を両極端に分けてしまう言葉。

そこを判断しないといけない。

言葉の背景を読まないといけない。

御子が語っているのか。

表面だけで語っているのか。

体験に裏付けられているのか。

相手を思って話している言葉なのか。

自分を高めたいから
いいこと言ってるだけなのか。

安っぽい言葉なのか、
最高級の言葉なのか。

しっかり判断して、
良いものだけを受け入れていきましょう。

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