約束はお金だ、を考える 摂理の便り

昨日、水曜礼拝の後、
原稿をもらいました。

今朝、朝のお祈り会の後、
御言葉を読み返そうと
思って、昨日もらった原稿は
家においてきたので、
もう一枚原稿を
手に取ったんです。

すぐ返すから、と思って。

読み進めていくうち、
「これはすごい」と思って、
テーブルにあったマーカーで
線を引きました。

それで満足して、

原稿を持って帰りました。

よく教会では、
「原稿は人数分しか
印刷していないので
複数持って行かないでください」

ってアナウンスが流れるんですけど、

まあいったい誰が何を考えて
そんなことをするのかと
思っていたんですが。

ほんとに何も考えないで
持って帰りましたね。

ここにお詫び申し上げます。

他にも何か持って行ってるかも
しれませんね。

今朝、どこにマーカーを
引いたかというと、

いろいろあるんですが、

77.<約束>は「お金」と同じだ。

にも線を引きました。

深い!って思ったんです。

約束はお金です。

お金は約束です。

お金って何ですか?

って聞かれたら、
それは約束なんです。

これを理解するために、
お金のルーツから
考えてみましょう。

昔、人々は物々交換をして
暮らしていました。

魚を捕るのが上手な人は
たくさん魚が捕れますけど、

狩ができないのでウサギが
食べたくても
魚しか食べるものがない。

そこで、自分が捕った魚を、
狩が得意な人が捕ったウサギと
交換したんです。

しかし、魚は腐るのが早い。

大漁の時はたくさん
交換したいけど、
すぐ腐ってしまって交換できない。

そこで「お金」というものが
誕生しました。

お金ができたことで、
魚をお金と交換することで
魚の価値が保存される
ようになりました。

これがお金の主要な役割の一つ

「価値の保存」です。

このお金が価値を発揮するのは、
自分と相手が共通認識を
持っていないと
いけません。

「このお金は、この量の
魚と同じ価値だよ」っていう
双方の約束が必要なんですね。

つまり、お金は双方の
約束の下に成り立っている
存在なんです。

お金は約束です。

だから、
77.<約束>は「お金」と同じだ。
なんです。

はあ・・・たった1行の
箴言一つを文章にしようとしたら
すごく疲れました。

ほんとに御言葉は深いですね。

現代はって、とにかくカネ!カネ!
宝くじで前回10億が9名!今回は?

ってやってますけど、
それはお金の本来的な使い方では
ないんです。

いつから宝くじの当選金って
あんなにバカ高く
なったんでしょうね。

僕が小学生くらいの時は
前後賞あわせて1億くらいだったと
思いますけど。

おそらく、時代が過ぎて資本主義で
なくなったら、お金と言うものは
使わなくなるかもしれませんね。

お金でなくても、お金と同じ役割を
するものがあるので。

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