自己主観を治しなさいと、今朝の御言葉では仰いました。
自己主観といえば!僕は日曜日に自己主観の強い人に絡まれたんですけどね!っていつまでその話しとんねん!!
今の自分に必要な御言葉がたくさん与えられていて感謝です。
今日の御言葉は、明け方のお祈りに向かう時、マンションのエレベーターから降りた時に浮かんできた聖句から伝えられました。
明け方ってシーンとしてるから、ふっとアイデアが浮かんでくることがあるんですよね。
「その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。地上には大きな苦難があり、この民にはみ怒りが臨み、 彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。」
ルカによる福音書 21:23-24
終末に関する聖句ですね。ちなみに終末とは転換期であると、先生は教えています。
この終末には、身重の女と乳飲み子をもつ女は不幸だと聖書には書かれています。
文字通りの「赤ちゃんがお腹にいる女性」という意味ではなく、自己主観が強い人のことを指しているのだと今日の御言葉では話されました。
頭の中にたくさんの自分の好きな考え、古い考えが入っていると目的地まで行けないよ、という話です。
古いものはどんどん捨てていかなくては行けませんね。
先生はよく「生きている神様」ということをおっしゃるのですが、この「生きている」っていうのは「常に新しくなる」ということでもあります。
この体も常に新陳代謝が起こっているから生きているといえます。代謝が鈍くなったら老けるし、止まったら死にます。
これは体だけのことではなくて、考えもそうなのだと、私は御言葉を聴きながら思いました。
自分の頭の中も、いろいろ詰まっている身重な頭になるのではなくて、いつもリフレッシュした状態であるのが健康的ですね。
そういう意味では、先生は本当に自分がない方です。
今日の御言葉の後に先生の箴言を伝えてくださいましたが、その中に万物と通じる方法について話されている箇所がありました。
<万物との対話>は、自分が「万物の立場」になって「そのフィーリング」を話す時、対話になる。万物が人間のように話すのではない。万物の立場を分かって自分が「通訳」することが「万物との対話」だ。
「万物の立場になって」というのが先生の性格を端的に表しているなと思いました。
常に相手の立場、神様の立場で考えて行動されるのが先生です。
普通に考えても、自分の立場から見える世界って狭いです。
その狭い世界に閉じ込められていることは、自分にとっても、神様から見ても嬉しいことではありません。
そうした自己主観を捨てて、より知恵深く生きて生きたいですね。