種が違う

私たちは御言葉の網で救われた有象無象の中から選り分けられて「うーん、この人ほんとに新婦になるのかなあ」とかヒヤヒヤされながらも、先生が決死の条件を立てたおかげで生きているのですが、それとは明らかに選ばれ方が違う話が出ていました。種が違うとおっしゃいました。
昨日たまたまじゃがりこを食べながら「チョウンさんにより、じゃがりこブームが起こったことがあったなあ…」と懐かしんでいたのですが、その程度の次元ではなく!伝統を捨てて認識を新たに!脳を作動させていきましょう。

今は、また転換期だから混乱するのかもしれません。
地球も生まれたばかりの時は火みたいだったり氷みたいだったり、わけわかんなかったらしいです。噂によると。
脱線しますけど、誰でも地球が昔炎に包まれていたこととか、氷に閉ざされていたこととか信じていますけど、誰も見たことないはずなのに信じているんですよね。なのになんで神様は信じないんだろう。不思議です。
話を戻して、今は春が過ぎて、夏だけど、時々寒い。梅雨だから?まだ梅雨じゃないの?じゃあなんなのさー!といった時期です。
経験ベースですけど、摂理って転換期多いですよね。
なんかいつも新しくなっている気がします。その度にちょっとザワザワしたりして。進むスピードが早いからそうなのかもしれません。
そんなだから間違えることもあるんですけど、違った認識を持ってしまうこともあるのは当然で、みんなの前で話すような人が間違えるんだから私たちはもっと間違えているんだと思うのですが、そこで先生から「そこ違うよ」と言ってもらえるのは感謝ですよね。
先生がいなくなったら、そういうこともない。間違えたら間違えっぱなし。だからそれまでにもっとしっかりしないといけないんですよね。気が引き締まりました。
一対一で教えてもらえるってのは感謝です。間違えて先生に「違うよ」って言われて、「主よー、また間違えたよー。悔い改めます。」と言えるならむしろ可愛らしいですけど、そこで恥ずかしさを隠すため「は?俺が合ってるに決まってんだろ。」と我を張ってしまうと漂流しますね。何もないところを延々と漕いでいかなければならなくなります。
主の帆を張って、目的地へ。

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