御言葉を繰り返し読むと悟る

証の御言葉を聞きました。
火を受けるには悟ることが必要です。そして悟るには、繰り返し読むことが良いらしいですよ。
暗記のためではなく、繰り返し読むと「はい私!」と浮き上がってくる御言葉が出てくるんだそうです。生きておられる主なんですね。
僕がわかる部分で話すと、僕も御言葉を聞いて自分の文章でこうしてブログを書くにあたっては、御言葉の中で「あ、これ」と水石見つけたみたいに、気になるところを拾ってきて話を広げるようにしています。
御言葉をまんまコピペするのって、あまり好きではありません。なんか畑でとってきた野菜をそのまま転売しているような気がして、俺何もしてないじゃん!という責任分担の不足を感じるからです。俺は問屋じゃねえぞと。
問屋って中間マージンだけとっていく商売だから、あまりやりがいが感じられません。火がつきません。だから、とってきたものを料理するようにはしています。料理の腕はともかくとして。でもそれでいろんな反応があって初めて、合ってたのか間違ってたのか自分ではっきりわかることができます。「御言葉を実践したのに、なんで…。ちくしょー!」みたいなことにはなりません。御言葉をもっとはっきり悟ろうと「自分から」努力できるのでとても良いです。
責任分担を果たさないということは聖書を文字通り信じた旧約の人と同じになってしまうということで、彼らは御言葉を掲げて自分は何もしないでいたから無理な解釈に陥ってしまいました。
そうならないようにはっきり知りたいですね。繰り返し読むことで各自にアピールしてくる御言葉は違うでしょうが、リンカーンなんか聖句一節に聖霊を受けて奴隷解放運動を始めちゃったらしく、その力は計り知れませんよ。
今日の箴言も一つが説教になると仰いました。短い箴言の中に、文字には現れない心情が入っています。無理に解くのではなくて、祈ってはっきり悟りましょう。

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