今日の箴言は、「もっと良いもの」と「それより劣ったもの」の話から、歴史の比較、また親子の喩えに話がつながっていきました。
親の方が大きくても旧歴史で、子は小さくても新歴史。一世代たった数十年ですけど、それを引き伸ばしたら歴史になります。親が老いるように、歴史も老いるのだと。すごいたとえですね。
実家のうちの両親も、数年前までは大きかったのですが、最近ときどき、小さく見えることがあります。いつの間にかおじいさんおばあさんになったなあと感じることがあります。還暦過ぎてなお健康診断はほぼA判定らしいですが。
一方、3歳の姪っ子はどんどん大きくなっています。新しいことをどんどん覚えるし、体の成長も早い。今はまだ何もできないけど、とても希望的です。
姪を見て思い出したのが、「三つ子の魂百まで」という言葉です。3歳までに人生の基礎ができるということわざです。3歳なんてみんなまだ可愛いだけで何もできない、これからどうなるかもわからない時期ですが、その時期に将来の基礎的な部分は決まっているんですね。
300も3歳と同じだな、と、子供を見て思ったんです。
霊はああなったけどこの体はわかっていない。そういうことなんだと思います。一見すると何も違いがないように見えますが、基礎的な部分はもうできたんだと思います。将来の決定的な部分は決まったんだと思います。
肉の生活で霊が下がるという話もありましたが、子供も適当に育てたらいくら3歳まで立派に育っても将来が狂ってしまうように、霊もそのような時期なんでしょう。そして、大事に育てれば、基本に従ってどんどん大きくなる時期なんだと思います。