やっていることを後世まで残すことについて

主管圏についての話でした。

摂理の中で実践したことは永遠まで残ると仰いました。

主管圏の外では、いくら大きなことを行なっても残すことができません。たとえば今、北朝鮮では金正日の誕生日を盛大に祝っています(昨日「メディアだめ」って言われたばかりなのにこんな話ししてしまう…w)。

人の動員数、かかる費用は先生のお誕生日より大きいです。しかし、誰得なんでしょうね?この行事の恩恵を被るのは北朝鮮首脳陣だけなので、今の体制が崩れると同時に忘れられます。

一方で、箴言にあったように、先生がいらっしゃることで世界が時代の恩恵を受けます。

だから、俗な言い方をすると、人々がすすんで残そうとします。

そんなふうにして、キリスト教も2000年間も残ってきました。

これは本当にすごいことです。大企業といわれるような組織でも100年で経営が傾いたりするのに、2000年も続くというのは本当にすごいこと。しかもその創始者が今なお尊敬されています。企業であれば創始者のことなんかすぐに忘れられてしまいますね。宗教というのは、そういうところがすごいです。

私たちも、何かしら後々まで誇れることを、若いうちにやっておきたいですね。

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