時を掴んで行いなさいという御言葉でした

今日は時についての御言葉でした。

主日は主に「歴史」という壮大な時の流れについてでしたが、今朝の御言葉では「瞬間」、特に「寝起き」という最も身近な時についての話でした。

寝るに時があり起きるに時があり、パジャマに時がありスーツに時があり、すっぴんに時があり化粧に時がありますね。聖句通りです。

すいません、正しくは「愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。」伝道の書‬ ‭3:8‬ ‭です。

時が過ぎたら神様は二度と行わないという主日の御言葉で仰いましたが、それを聞いて「神様って冷たいのかな」と思った方いますか?私は思ったのでそれについてあれこれ考えていました。

それで今朝の御言葉を聞いてわかったのは、たとえば、自分の子どもがいつまでも寝ていて昼過ぎまで起きなかったら、お母さんは起こすのを諦めて自分のすることをするしかないように、神様もそうだということです。

だから神様が冷たいのではなくて人間が悪いんですね。

私は長らく摂理の兄弟と暮らしていましたが、よくあったのが、兄弟が疲れて昼寝しているということです。僕もしょっちゅうやってました。昼寝大好きだからさ。

そんな時、周りの人はそこには触れないように気を使ってくれるんですよね。新入生がくると、何としてもその部屋には入れないようにするという苦労がありましたw

ともかく、主日の御言葉を身近に感じられる御言葉でした。

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