今朝は、聖霊様が、間違ってももう一度立ち上がって行おうと励ましてくださいました。
とても温かい言葉ですね。
世の中でもきれいごととしてはよく言われますが、実際に十字架を負う覚悟でそう言ってくれる方はなかなかいませんね。
昨日はテドク牧師の話を聞きましたが、そこでは昔先生が「山を動かす信仰」という聖句を間違って解釈して、山で一生懸命お祈りしていたなどのエピソードを話してくださいました。
そのように1つずつ体験したからこそ、違うことは違うと言えるし、はっきりわかって伝えられますね。
やってみると想像と違うことは山ほどあります。
野球の試合を見てると簡単にヒットを打っているように見えますが、いざ自分がバッターボックスに立ってバットを振ってみるとかすりもしないものです。
現実世界ではこのようなことがたくさんあります。
本当に、自分が知っていたことはわずかでしかなかったということを感じざるを得ません。
だから、理論と実際が違った時にどう対処するかがその人の人格を表すと言えますね。
既成タイプ「私が間違ったわけじゃない。たまたま運が悪かっただけだ。私の認識は正しいから、そのうちうまくいく。」
悪評者タイプ「なんだよ。あんなふうに言ってたけど全然その通りにならないじゃん。みなさーん、あの人の言ってること、嘘ですよーwww」
日本人タイプ「俺はダメなやつだ…もう諦めよう。」
先生タイプ「やり方を変えてもう一度やってみよう。」
どの道を行くかは自分の自由意志で、多くの人が楽な道を行こうとしますが、狭き門から行く人が、天のものをすべて得るんですね。
間違いはあまりしたくないものです。ただ、たとえ間違った時でもその責任を自分でとれると、天の信頼度がめっちゃ上がります。だからどっちにしろお得です。