御言葉では「自らやることの必要性」を話してくださいましたが、ここでは私らしく「自ら行うことの難しさ」を書いて、読んだ人の頭を悩ませようと思います笑
やっぱり昼過ぎになると波長が悪くなってくるので、なんかポジティブにいけません笑
さて、自らやることについて、私はわりと研究している方だと思いますが、なかなか難しいのが“喜んで”自らやるということですね。
「強制的に」であればいくらでもできます。昔は仕事をよくそんな感じでやっていました。
強制されたときの馬力ってかなり強くて、溜まっていた仕事もあっという間に終わります。
ただ、そのあと燃え尽きてしばらく稼働が停止し、結局プラスマイナスゼロ。
しかも、そうしたやり方は事務仕事には向いているのですが、クリエイティブな仕事なると途端に何も浮かんで来なくなってクオリティが下がります。
これからは人工知能が単純な仕事をどんどん奪っていくので、強制されてはかどる仕事はどんどん減っていくだろうと思われます。
だから、いかに“喜んで”やれるかが大切です。
楽しんでいる時ほど人は色んなアイデアが浮かんできます。
そして、“主の中で”というのも重要でしょう。
喜んでやるにしても、一歩間違えると「自分の好きなことをやっているだけ」になってしまいます。
「自らやる人」が気を引き締めなければいけないのはここです。
いつも「こっちで合っているのか。こっちにショット撃っていいのか。」というゴルフみたいなことをやりながら一打一打ゴールに向けて進んでいくんです。
さらに難しいのは、対価をすぐに得られるとは限らないということですね。
時給、月給で対価をもらえるってほんとに楽で「朝から2時間働いたから2000円確定」という計算を、私たちはよくするじゃないですか。それがやる気になるでしょう。
しかし、自ら行うことについては「これだけやったらこれだけのものが手に入る“見込み”」だけが出てきます。
見込みの数字をはじき出すのは自分の裁量次第なので、いくらでも上を目指せるのですが、それが確定するのは手に入れてから。
だから、自らやるときには最後まで行う決意がなければならないし、見込み違いで崩れることも多いから「崩れても起き上がる精神」も必要です。
しかも、そういう決意をしながら“喜んで”やるんです。
短剣を懐に秘めていつでも死ねる用意はしながら、でも楽しくやるんです。
ちょー難しいです。
ほんとに御言葉通りにしないとダメです。
あと、けっこう試みに会うのが、人の反応がコロコロ変わることですね。
自分が成果を出している時は人もよく接してくれるんだけど、うまくいっていないと多くの人はサーっと引いていきます。引き潮のように。
「なんなんだろう。うまくいかない時ほど助けて欲しいのに」って思うんですが、そうはしてくれません。
だから、うまくいっていても気をぬくわけにはいかないし、楽をするために行なっていては続きません。
主をつかんで「どうなっても変わらない」という強い信仰がないといけません。
だからといって、「変わらないぞ」という決心がいきすぎて頭が固まって新しく変われないと、また失敗するんです。
すごく難しいんですよ、自ら行うってのは。
先日、祈りはヒマラヤに登るように集中することだとおっしゃいましたが、そのように難しいことです。
ただ、それを全部クリアしたら、その祝福は莫大です。
人に言われてチマチマやっている人よりずっと大きなことが成し遂げられ、自由になって歩いていた人が走り、走っていた人が飛び回り、同じ100年をいきても10倍、100倍長くいきたことになります。
小さな山をハイキング気分で登るより、大きな山に挑戦したいですね。