今朝の御言葉では、「脳に恵みの川が豊かに流れるようにしなさい」と仰いました。
私たちは、いつも気分良く生活したいと思ってはいますが、なかなか難しいことも多いです。
なぜなら、いつも良いことばかりが起こるわけではないからです。
だから、過去にあった良いことを忘れないようにして乗り切る、ということも必要です。
御言葉でも「過去に受けた恵みを忘れるな」ということをたくさん仰います。
そこで、今朝の御言葉を書いた方は、そのことを実践しました。
はじめて先生に会った時のことを、何度も思い返してみました。
しかし、うまくいかなかったそうです。
過去の思い出にしがみつこうと必死になるほど、そのことを大変に感じ、心が渇きました。
そこで頭を休めようと、山に登りました。すると、川に豊かに水が流れていました。
「このように、恵みの川が流れていなくてはいけない」
そのためには、自分の頭で考えていてはいけないのだと仰いました。
聖霊を頭にしなければなりません。そうすれば、渇いた地に十分に雨が降り注ぐように、この考えに恵みの川が流れるようになるのだと仰いました。
以下は、私が御言葉を聞いて思ったことです。
自分を頭にしている間は、思い出は一つの意味しか持ちません。
「あの時のこと、良い思い出だったなあ」
では、聖霊を頭にした場合はどうでしょうか。
私はあまりそういう経験がなく説得力がないので、先生を見てみましょう。
先生の御言葉を聞いていると、一つの出来事に対して、後から後から様々な意味を発見される姿を見ることができます。
月明洞にしてもそうだし、さまざまなしるし、万物、夢、歌など。
一つを取ってもさまざまな意味を持っていて、それが少しずつ明らかになっているし、また「まだ見つかっていないものもある」ということも仰いますね。
これが、聖霊を頭にして恵みの川が流れるということです。
自分中心にして見るのではなく、聖霊を中心にして見るといろんな形が見えてくる、いろんな恵みが見つかる。
神様は、一箇所にとどまるのではなく、時に従って働かれる方です。
今この時に神様はどのように働かれているか、その宝を探すことは、私たちの責任分担です。