「否定的な考えはあなたをできないようにさせる」と仰いました。
一度否定的な考えが生まれると、それがどんどん大きくなっていろいろめんどくさくなってきますね。
実際に、否定的に考えたくなるような出来事は日常で起こっています。
だからこそ私たちは「またあのようなことが起こる可能性がある」という防衛本能のようなものを働かせます。
御言葉でも「気を引き締めなさい」ということを仰います。
東京に住んでると変なこといっぱいあるよほんとにフザケンナ。
気を引き締めることは自分の宝を守る良いことですが、行き過ぎると「疑い」や「血気」、そして「否定的な考え」に陥ってしまいます。
旧約聖書に「ヨシヤ」という王様が出てきます。先生のバイブルスタディで取り上げられている人物です。
ヨシヤ王の当世は世の中が乱れていました。それを一代で洗濯してしまったのがヨシヤ王の功績です。
しかし、ヨシヤは最後の最後で失敗してしまうんです。
自国に敵対していないエジプトに対して「あいつは我々を攻撃しようとしている」という否定的な考えを抱いて戦争をし、その最中に重傷を負って死んでしまうんです。
否定的な考えのせいで無駄な戦争を起こし、しかもそこで命を落としてしまいました。
先生はこのエピソードをもって、「無知の中の相克」という話をされます。よくされます。話し出すと止まりません!
さて、ヨシヤは邪悪な時代にあって、懸命に国を立て直すために働いた人です。
立て直そうとする中で、いろいろな困難を経験してきたはずです。
その経験が積もりに積もって、「どうせまた良くないことが起こる」といった考えになってしまっていたのかもしれません。
それでエジプトが不穏な動きをしたものだから「ほらきた。迎え撃つぞ」という自動装置が働いてしまった可能性がありますよね。
なぜそう思うかというと、私がよく経験しているからです。
おかしな出来事にたくさんあうと、どうしてもそうなってしまいがちなんですよ。
東京に住んでるとほんとにそういうことが多いよフザケンナ!
さて、様々な可能性に備えておくことは大事ですが、そこに溺れてやるべきことができなくなったり、色眼鏡で人を判断してしまってはいけませんね。
悪い考えは入ってきても、いつも良い考えをもって打ち消して行かないといけません。
それが御言葉です。善と悪の戦いですね。
箴言では、松や月明洞を大きく育てるにあたって先生がどういう精神で取り組んでいるのかがわかります。
大変なことは多いけど、腐らないで自分という作品を大きく美しく作りたいですね。