外側は美しくても、内側は違うと今日の御言葉でおっしゃいました。
「人は内面が大事」というと「んなこた知っとるわい!」と思うのはもちろんです。
なぜなら、2000年前から言われていることですから。
「盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。」
マタイによる福音書 23:26-27
ことあるごとに言われる「人は内面が大事」という言葉ですが、なぜ言われ続けているかというと、それはもちろん“うちらの内面が全然良くなってないから”でございますね。
内面を変えるのって大変ですよ。数日ならできます。人前ならできます。お金もらえるならできます笑
でも心から「内面を変えなきゃ」て思うことがそもそも難しい。
さらに「内面をどう変えたらいいのかわからない」問題もあります。
よくさ、満員電車でおばあさんに席を譲ろうとしたら「わたしゃまだ若いよ!失礼だね!」て言われてへこんだなんて話があるじゃないですか。
自分では親切な心を持ったつもりが相手にはお節介になってしまった。
「もう席なんか譲ってヤンネ」と思うじゃないですか。
ほんとどうしたらいいのか。内面を磨くってほんと難しいんです。
いつも日曜日の御言葉には代表の聖句が付くのですが、今日の聖句の一部を抜粋しますと。
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」
マタイによる福音書 7:13-14
実は、その道はとてもせまくて見つけることはとても難しいことなんです。
以前の御言葉によると、「人1人がやっと通れる」くらいの幅しかないそうです。なんとなくわかる気がしますね。
私たちは、「誰もが平和を望みながら、争いが起こってしまう。」世の中に生きています。
どうしたら平和になるのか。楽しく面白く生きていけるのか。自分は何をするのが良いのか。
そうしたことは、ネットからは学べません。テレビからも学べません。友人や親、学校の先生に聞いてもすっきりした答えを得られることは稀だと思います。
これだけたくさんの情報がある現代なのに、いまだに「これだっ」て情報がないのが現代です。
だから狭い道だと言われていわれています。