体を洗わないと周りが気がつくように、悔い改めないと周りは気づく

今日は悔い改めの御言葉でした。

悔い改めというと「悔い改めよ。そうしなければ地獄に行くでしょう。」とスピーカーから流している番宣カーが東京では走っていますが、そういう怖いものではないということは、摂理の御言葉を聞いている人ならみんな知っていることです。

悔い改めは、体を洗うようなこと。

先生はそう言います。生活しているとどうしても汚れが溜まっていきます。罪も、全くない人はいません。それを洗い流すことが悔い改めです。

自分の臭いは自分では気がつかないと言いますが、そのように自分の罪がどれほどのものかはなかなか自分では気付きにくいものです。

タバコくさいとか酒くさいのは、周りのタバコを吸っていない人、酒を飲んでいない人が敏感にわかります。

そのように、罪も、犯していない人から見るとよく見えるものです。

摂理で頑張って走っている人の中にはねえ、これによく気がつく人がいるんですわ。

「なんか今日、礼拝の様子が淀んでる気がするんだけど」

ギクリ。もう困ったものです…いやいや、そこに気がつけるのは清潔に過ごしていらっしゃるからですよね。悔い改めなければなりません。

また、摂理の人でなくてもよく気づかれる方がいます。

賢者系のおじいさんおばあさんなんか特に相手の内側をよく見てますよ。いつもニコニコしてるけどいきなりズバッと本質ついたこと言ってきたりしますから。

そんな風に、なんとなくわかります。隠していても。

だから悔い改める必要があります。

鈍感な僕でさえも、職場である人のそばにいるとどうにもゾワゾワするのではじめは「勝手にゾワゾワして申し訳ない」と思っていたのですが、後でわかったのはその人には恋人が何人もいたということです。自慢していました。

言葉にしなくても勝手に漏れている情報というものがあります。綺麗にしたいですね。

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