今朝は、毎瞬間経緯を残しなさいという御言葉を伝えてもらいました。
経緯、わかりやすくいえば思い出とも言えるかもしれません。
その経緯が積み重なって、あとあとまで語り継がれると、歴史になります。
STORYが積み重なったものがHISTORYです。
だから、大きな歴史をなすにも、毎瞬間毎瞬間の小さな経緯づくりが大切です。
牧会者の方が、新しい歌が作られた経緯を話してくれました。
ある警察官の弟子が、「摂理に騙される人が多いので、気を引き締めるように歌を作ってください。」といってできた歌があるという話でした。
そうした経緯を知ると、歌もずっと意味深いものに感じられますね。
僕も歌をたくさん覚える中で、経緯といっていいかもしれない出来事をたくさん経験しています。
先生の歌を覚えるのは大変です。普通のポップミュージックとはメロディも歌詞も違うからです。
だから、なんども聞くことになるのですが、それでも覚えられないとだんだん飽きてきます。
すると、勝手に替え歌を作るようになって適当に歌うようになります。
なんども聞いてると気持ちが塞いでくるので、それを振り払うために、歌詞の節目に「ヘイ!」とか入れてみたり。
または、もとの歌詞が「最高の位置 最高傑作だ〜」というところを、「○○(兄弟の名前)は 最高傑作だ〜」に替えてしまったり。
そのようにして気を紛らわしながら、なんとか覚えているわけです。
そこで気がつきました。
「これが、御言葉が間違って解釈される原因である」と。
今までのほとんどの宗教では、時代を追うごとにもともとの意味が曲がって解釈されてしまうという現象が起こっています。
なぜそのようなことになるのか、私はよくわかっていませんでしたが、「原本を学んでもはっきり分からなくて、そのうち飽きて勝手に作って楽しんでいるのだ」ということです。
僕と神様の経緯はだいたいこんな感じです。