神さまの法は怖いものではなく、神様の願いであり祝福

神様の法についての御言葉でした。

「法」というと「怖い」とか「縛るもの」というイメージがありますが、神様が時代ごとに伝える法はつまり「神様の願い」であり「祝福」なのだと言いました。

まさに、守るべき「お祈りの条件」という方が与えられている今に必要な話ですね。

それを守ることで祝福があるから「お祈りしなさい」と言っています。別に無理やりいうことを聞かせたいとか時間を奪いたいから言っていることではありません。

神様の法だけではなく、この世にある法律は自分自身を守るために作られたものだという話もありました。交通法を守らなければ事故にあうように。

思うに、法律が「怖い」「縛るもの」と感じてしまうのは、それを扱う人が利用するからですね。

法律そのものは良いものです。しかし、それを利用して人を脅したり怖がらせることに使う人もいるから法のイメージは悪くなります。

神様の法も、人を怖がらせることに使っている人が多いです。

「悔い改めなければ地獄に行くだろう」といって人を縛ろうとしたり、「御言葉ではこう言っていますよね?」と詰問したり。

そうしているから宗教のイメージも悪くなります。

摂理の御言葉では「愛が核だ」と何度も言います。神さまの法が「祝福」であるということをちゃんとわかって使わなければなりません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA