先生と共に生きるってどういうことだろう

今は「自分のために祈る」時であるはずなのに、御言葉で「個人の次元を抜けて家族のため民族のために」とか「いまだに自分の悩みや問題の話が多い」と言ってることが多くて、いったいどうなっているんだ。

つまり、「自分のために」とは言えど、ただの個人としての自分ではなく、もうちょっと大きなスケールで自分を捉えて、自分のために祈らないといけない時なのだろうと思います。

御言葉でも、「結婚する前は愛し合うことだけをするが結婚した後はともに思いをなして行く」という話もありました。

お祈りの条件やってますが、時間、早いですね。先生と共に祈るというか、先生より早い気がします。

御言葉で聞いていた、先生が起きて祈る時間より、今私たちが起きている時間が早い。

以前、先生と共に走っていた方は、先生より早く起きて準備をしていたのだと聞いたことがあります。それと同じなのかもしれませんね。

共に走る時には、自分たちがもっと早く起きて先生が起きた時に「お早うございます」と気持ちの良い挨拶ができるのか、その練習をしているような気もします。

そう考えると意識変わりますね。

御言葉を聞いてると、時々先生寝坊してるじゃないですか。「起きたけどあまりに疲れていて、寝た姿勢のまま祈ってまた寝てしまった」という話が何回かありました。

リアルにそういうことが起こったら、私たちが起きてるのに先生が起きなかったら、私たちはどういう反応を示すでしょうか。

眠気で不満爆発するでしょうか。先生につまづくでしょうか。それか、心を落ち着けて待っているのでしょうか。

その時には自分の本性が誤魔化しようがない。そのように思いながら、僕も朝会の後は二度寝してしまうわけですが。

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