心を装うことを先生から学ぶ

装いをすることについて教えてくれました。

服を装うことではなくて、心を装うことについてです。

結婚式の前に新婦が装うことを例えとして話してくれました。装って新郎の前に出るように、装って神様の前に出ます。

新婦の装いをするためには、母親の手助けが必要です。

そのように、母親格の聖霊様に手伝ってもらって装いなさいと言いました。

先日、聖霊様は装いの神だという話もありましたね。

女性は装うことが上手です。僕は毎日同じ服の方が楽です。

それはともかく、昨日、先生の映像を見ました。

海外で、先生がお祈りの場所を探しに山へ登っている映像です。

祈りにふさわしい場所を探すためだけに、8時間もかけて、時には道に迷いながら山を登ったのだそうです。

そうして見つけた祈りの場所は、絶景でした。

さらに、祈りの場所の手前には、祈りの準備する場所みたいなところがあって、そこで十分に準備しないと祈りの場所には入らないそうです。至聖所ですね。

そこまで準備するのか、装うのか、ということが驚きでした。

僕も文章を書くときは集中できる場所を探してカフェをまわったりしてますが、なんか次元が全然違いますね。

先生は、そのように完全な準備をしてお祈りをしているから、神様と深い対話ができるのだと思いました。

ですが、ただ修行僧のようにストイックに山歩きをするのではなくて、途中で話をしながら、花を摘みながら、木にぶら下がって遊びながら過程を楽しみます。

そして、必ず道を作りながら進みます。後から来る人が楽になるように。

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