戦って勝ちなさい、と私たちを力づけてくれる御言葉でした。
礼拝の後、「今日の御言葉よかった」という人が何人かいました。
僕もそうです。わりと、男性にささるところの多い御言葉だったのではないかなという気がします。
「努力」とか「勝利」が前面に出ている話でしたから。「冒険」や「目的地」といった要素もありました。人生を楽しむことができるように認識し直してくれた御言葉でしたね。
僕は昔、ゲームが好きでした。ゲームはたいてい「冒険」とか「勝利」が絡んできますから、失礼ながら御言葉からゲームが連想されてきてしまいました。
〈人生〉は「瞬間立ち寄って行く旅路」と同じです。
ゲームや…
行く途中で困難に直面したといってへたり込んでいたら、何もできあがるものがありません。
ゲームや。
山奥の雑草をかき分けて〈目的地〉向かってみると、ある時は「蛇」もいるし、ある時は「獣」もいます。
モンスターや!
蛇がいたら、石を持ち上げて蛇の頭をつぶして、いくのです。
敵キャラとの戦闘や!!
〈自分自身〉は「自動車」と同じです。〈自分という車〉をもっと性能よく、安全にどんどん作らなければなりません。そうすれば人生を生きることがもっとよくて、易しく、楽です。
装備の強化や!!
行く途中「その主観圏にいる人」に会う時もあるし、「楽な場所」に出会う時もあります。
街と村人や!!
行く途中で止まったら、ちょうど旅人が目的地に向かって行く途中、宿屋に住みつくようなことです。
宿屋でHP回復や!!
と、こんなことばかり頭に浮かんできました。
人生はゲームに重なる部分もあります。というかゲームが人生を模倣したものです。
ただ、ゲームと人生が違うとは、ゲームは途中でやめられますが、人生はずっと続くということですね。
行く途中で止まって「楽な居場所」に座り込んだら、結局「その次元」に留まるようになります。行く途中幾度も「障害物」に遭うからといって落胆し、諦めたら、結局「そこで」虚しく終わるようになります。
旅の途中で諦めたら、その人生がずっと続くようになります。
僕は今までに何度か転職をしていますが、ある会社の上司がこういっていたことがあります。
「俺は柔道を頑張ってきた。その道で成功したいと思っていた。だが、あのオリンピック金メダリストに負けた。だから俺はこんなところで働いているんだよ。」
もちろん、スポーツの世界は一部の人しか勝てない世界ですからしょうがないことですが、未練の残る形で人生を過ごすのはつらいと、その言葉を聞いて思いました。
人生を行く途中には何度も困難にぶつかります。
それによって力を失ってしまうこともあるし、縛られてしまうこともあります。
だから、その鎖を断ち切り、力を与えてくれるものが必要です。
その核は、御言葉なんですね。
〈悔い改め〉さえすれば、神様は「罪の鎖」に縛っておくことをせずに、許して、放してくださいます。そしてまた挑戦するようにしてくださいます。
〈主〉は「神様の肉」になって、神様が予定なさったとおりに三位と一体になって、この世にすべて勝ったから、主の前にサタンも屈服し、世の中も屈服しました。
だから誰でも主と共にすれば、必ず勝ちます!