これから世の中を襲おうとする大艱難。
それを目の前にして、なお自分の好きなことに溺れているものが多すぎる!
そのような者たちには、思わぬ災いが降りかかるであろう。
競争にもいろいろあります。
一般的に、競争とはいかに相手より優るかを考え、実行することです。
負けた側は悔しい思いをして、相手を見返すために自分を磨きます。
そうして新しいものが生み出されたり、高度な技術が発見されたりします。
世の中はこの自由競争をベースに発展しています。
これとは違う競争が、善の競争です。
善の競争とは相手をいかに喜ばせるかを考え実行することです。
喜んでしまった相手はうれしい思いをして、相手を恩返しするために自分を磨きます。
そうして愛の授受作用が起こって天国を成します。
善の競争について明確に先生がおっしゃったわけではありませんが、
私は勝手にそう思っています。
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妹に引きずられて映画「おおかみこどもの雪と雨」を観に行きました。
子育て映画でした。男女が愛して、つわりになって、お腹を痛めて子を産んで、子育てに疲れて、、、というのを見ながら「愛すると苦労が増える」と思いました。
今まで、主と愛し合ったら、とにかくラブラブで、ちょーたのしい、天国行ったらイヤなことなんにもしなーい、的な愛の関係を想像していてなぜかプレッシャーになっていましたが、そういうのは高校までです。
うちの両親は新婚時代、お互いの習慣や性格に合わせるのが大変だったと言っていました。
新郎新婦の関係は、実は楽ではないと気づき、逆に楽になりました。
摂理で教えてもらったことの一つに、
「理論と実践は違う」
というものがあります。
理論上は正しく見えるけど、
実践してみると間違っている。
理論上はできそうだけど、
実際やってみるとできない。
このようなことはたくさんあります。
たとえば
「猫は高いところから飛び降りる時、必ず足を下にして着地する。」
という習性と、
「バターをぬったトーストをうっかり落とすと、必ずバターの面が下に落っこちて床を汚す。」
というアノマリーを組み合わせれば、
理論上は、永久機関が可能です。
本当に御言葉はすばらしいですね。
摂理のブロガーが集まっています。
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今夏は月明洞に行く予定がありませんが、一度は月明洞の池で泳いでみたいです。
僕は真面目にやっていませんが、体作りに水泳は最適です。
全身を使うのでバランスよく筋肉がつき、腰をひねるので腰回りの肉に効果があります。
僕が過去に見た競泳選手は、みんなトイレマーク並の逆三角形でした。
また、腕を回すので五十肩に効き、膝の負担が少ないので年をとってからも続けられます。
なので、先生が年をとられても水泳は続けられますが、多分、先生はそんなの関係なく全部のスポーツに参加するんでしょうね。
肉体も栄える、という御言葉を聞いて楽しい気持ちで家に帰ったのですが、そこでもっとも気分を害する生き物に出会ってしまいました。
ゴ●●●です。
御言葉で力を受けたのに、なんかもう、残念な気分になってしまいました。
思わずカッとなって洗剤をかけまくり、トイレに捨てました。
「善はいつも悪にやられる」とか「腐ったものが新鮮なものを腐らせる」という言葉がありますが、そのことが感じられました。
価値のあるものを得たときは、それを害する要素から完全に分けないといけない、と思いました。
他の教会にお邪魔する機会があり、はじめて行く場所だったので場所を教えてもらったところ、そこは、僕が初めて社会人として働いた会社があったビルでした。
当時の通勤経路を久しぶりにたどっていたら、昔の僕の姿が見えました。
うんざりした様子で、会社に吸い込まれるようにとぼとぼ歩いていました。
あの時、会社に使われる人生が嫌で仕方なくて、独立を考えるようになりました。
今の職場が快適なので夢を忘れがちになっていましたが、霊的な独立を果たしたら、僕個人も・・・と考えてしまいました。
元アスリートの同僚が全力で走って肉離れしました。
僕が「僕はいくら全力で走っても肉離れしないけど、なんでそうなるの」と聞くと「体育会系は積んでるエンジンが違うから」という答えが返ってきました。
馬力はあるけど、なまった体がついていけなかった、ということらしいです。
先生が話される比喩で「ポルシェのエンジンを積んだ中古車」というものがあります。
その心は「霊は強いけど体が弱い」ということです。
これを考えると、霊の力を発揮するにはフィジカル面やメンタル面、他様々なことを強くしなければ、と思います。
ポンソクさんの月明洞話を聞いていると、
誰もこの人には敵わないと感じます。
経緯が多すぎます。
これから1000年、永遠に、ウォルに関してポンソクさんを越える人は出てきません。
たとえ僕がポンソクさんを越えようとして、
一生を懸けウォル開発にすべてをささげても無駄です。
いまさら遅いのです。
ウォルに関する主の許諾、内定はすでにポンソクさんに出ています。
2012年は、それぞれの行いに応じた内定が出る年なんだと思います。
チョウンさんも、先生も、主からいただいた祝福が明らかになりつつありますね。
大切なのは、自分に許された祝福に対して「最後まで行いなさい」だと思います。
そして、人の祝福にチャレンジしないことも大事です。
「最後まで行えば叶う!月明洞王に俺はなる!」と息巻いても、使命者に迷惑なだけです。
幼かったころ、こんな体験をしました。
ある日、何かをお願いしに母親のところに行きました。
母はいつも僕の味方になってくれる人で、そのときも快く「いいよ」と言ってくれました。
僕は気分を良くし、父親の許可もとろうと父に話しました。
ところが父はまったく聞く耳を持たず、許可してくれませんでした。
あせった僕は、母の援護を得ようと、母に父のことをちくりました。
すると母は急に険しい表情になり、僕を叱り、
挙句の果てに許可を取り下げてしまいました。
このときのショックや、いまだに覚えているほどです。
意見をコロコロ変える母に腹が立ったし、
何より母の意見を変えた父に対して、
言いようのない怒りと無力感を味わいました。
これは、学術的にはエディプスコンプレックスといいます。
子供が同姓の親に持つコンプレックスのことです。
母の意見が変わったのは、父を愛していたからでした。
子供心には母が変わったように見えましたが、母自身は何も変わっておらず、
いつもどおり父に合わせただけでした。
今となっては、本当によい夫婦だと思うばかりです。
御言葉が変わったように思うのも、これと同じくこうだと思います。