苦労の10年を抜け出して希望と感謝の一歩を踏み出す

10年の締めくくりにふさわしい御言葉でした。

まずは先生にお疲れ様でしたとお伝えしたいですね。

御言葉の中では何度も「ほんとうによくやりました。お疲れ様でした。」といっていましたが、一番苦労されたのは先生です。

そして、ついてきた人はみんなそれぞれ苦労をしてきました。

普通の若者はこういう過ごしかたしないでもっと遊んでますよ。

だから先生もそのことをわかって「よくやった」と言ってくれています。

10年間、ほんとうにながかったようであっというまでした。

僕としては、もう二度とこの期間を繰り返したくない思いもあれば、20代、30代のときを普通の人ではなかなか経験できないことばかりが起こって、未練が残る思いもあります。世の中の人を見て正直うらやましく思ったことはたくさんあります。ほとんど将来の希望をあきらめていたこともあります。

でも、前を向いてとまらずに前進していこうという思いでこれからも行っていきます。

前進、たくさん歌いましたね。

今日は「素敵に生きるのだ」もたくさん歌いました。

止まらずに、素敵に生きられるところまで進んで生きたいです。

これは、やみくもに前に進んでいかなければいけないという思いだけがあるのではなくて、実際に良くなる見込みが見えているからです。

今日はたくさん祝福の話もあり、僕に該当する祝福もありました。

それが来年以降大きくなるかもしれないという可能性が、ある程度あります。

みなさんもそうではないですか?

来年からは希望と感謝の期間だと御言葉でいいました。

そこで、今まで苦労した分は取り返さなければなりません。

「今の困難は将来受ける栄光と比べるに足りない」その聖句を体現したいです。

今年一年、このブログを読んでいただきありがとうございました。

良いお年を。

早く成長することが教えてくれた人を安心させること

2017年、最後の明け方の御言葉でした。

早く成長しなさいといいました。

いつまでも先生にやってもらっているばかりではいけないことを私たちは知っています。

これからまた先生と一緒に走る期間が残っていますが、それがいつまでも続くわけではないことも私たちは知っています。

先生から学べるのは、これは人間的な言い方になってしまいますが、あとわずかな期間だけです。

その間にたくさん学び、成長しておかなければなりません。

だから「早く成長しなさい」です。

時間があまりありません。この期間に学べなかったことは、その後の期間には永久に学ぶ機会がありません。

私たちの思いとしては「これから先生に近くしてあれをやってこれをやって思い出をたくさん作って・・・」というのがありますが、先生の心情としては、もちろんみんなといきさつを作ることを楽しみとしながらも、それに加えて「早く成長して自立してほしい」というのもあるのだろうと思います。

先生が立てた条件や資産を維持管理し、先生が教えた命たちを、先生がしたように大切にできる人はでてくるのだろうか。

聖書では、イエス様がペテロに「私を愛するか?」と何度も聞くシーンがあります。

ペテロが「愛しています。」と答えると、イエス様は「私の羊を飼いなさい。」といいます。

イエス様が伝道した命たちをペテロに任せるにあたって、ペテロがイエス様に教えられたとおりにするかを気にされている心情が伝わってきますね。

先生も同じ心情をもっているでしょう。

だから、早く成長して安心させられる人にならなければなりません。

ここは1年の終着地と来年への乗り換え地点

終点に着いたと言いました。

いつのまにか終点らしいです。

先生の話を聞いているうちに終点に着いてました。

ここまで休まず御言葉を伝えられたことは本当に奇跡です。

これから飛行機に乗り換えるのだそうです。2018年からは大きく変わるということですね。

飛行機内には良いものがたくさんあるといいます。だから、今までの古いものは捨てなさいと言いました。

荷物検査でもあるのでしょうか。今まで持っていたものを捨てる、なかなか厳しい荷物検査ですね。

摂理の人たちは「古いものを葬りなさい。」という御言葉をたくさん聞いています。転換期だからです。新しいことが始まるからです。

だから古いものは捨てなければなりませんが、なにが自分にとって古いものかは、自分で悟らなければなりません。それが人間の責任分担です。

捨てられていないと、きっと後でいろんな不都合が起こります。御言葉で「あれほど言ったのになぜ捨てなかったのか」と指摘されます。

「御言葉が具体的じゃなかったためにわからなかった」という言い訳はできません。御言葉はずっと残されるものでもあるので、今だけを考えて固有の現象について言及するばかりもいかないんです。

2015年までにも「飛行機で飛んでいく」という御言葉がたくさん出ていました。もう一回飛行機乗ります。

おそらく、今回が最後のひと時になるんでしょう。

どんな世界が待っているでしょうか。来年からが楽しみですね。

1年の点数がでる年末

年末の裁きに関する御言葉でした。

先生はよく話しますね、「年末には裁きがあるんだよ」ということを。

裁きというと直感的に「怖い」と思いますが、それは1年の総括として点数がでるのだということでもあります。

長いようで短かったこの1年。

1年間をみんなそれぞれ走ってきて、振り返ったときに良かったことダメだったことがあると思いますが、神様から見たときにはどうだったでしょうか。

僕も、走りながら途中で自分がなんのためにやってんのかわからなくなったこともあります。

しかし、何をしてきたのか、その点数は後になってわかるのだと言いました。

後になって祝福があって「ツラかったけどやっておいて良かった」と心が穏やかに過去を振り返ることもあるだろうと思います。

逆に、全然できてなくてケツに火がつくこともあるかもしれません。

でも、たとえ神様に怒られるんだとしても、それは罪をキレイにすることだから結局は祝福なのだと言いました。

どんな時も主と共にできることが感謝なことです。

いろいろな祝福がありますが、私たちにとって一番大きな祝福は「御言葉を聞けていること」ですね。

御言葉があるから自分を省みて、良かったところはもっと行ない、悪かったところは治していくことができます。

また、御言葉を聞いて「知っている」から、将来を希望で走ることができます。

御言葉がなかったら、2018年も「なんとなく」過ごしてしまったかもしれません。

年末年始も全力疾走で。

今年の最後まで全力疾走しなさいと言いました。

2017年1月、バッタの夢を毎日思い出さなければならないといっていたことを思い出しますね。

競争相手は人ではなく、自分の中の古いものです。ずっと追いかけてきます。しつこく追いかけ回してきます。

競争は、いっとき頑張って勝利をおさめられるようなものではありません。

続けて走って、振り切らなければいけません。

御言葉では「生活化しなさい」と言いますね。続けて走れることが大きいです。

そして、そのことに楽しみを感じられたら幸せですね。

水曜礼拝の御言葉でも、目的地に着いた時だけでなく過程で楽しむことについて話してくれました。

年末年始、ぼんやり過ごしたくなりますが、御言葉では「全力疾走しなさい」です。

それだけ急いでいる時だからです。チャンスが本当に多い。

だから、今やるべきことがわかっている人は本当に幸せだと思います。

御言葉通りに全力で走れるからです。

そして得るものが多いからです。

やるべきことがわからない人は、走るのも無理やりになってしまうかもしれないので、御言葉から知恵をもらえるようにしたいですね。

チャンスを逃さないために心が冷めないようにする

心がさめないようにしなさいといいました。

暖房のたとえをつかって、部屋が暖まるには時間がかかるから続けて熱を出すことだと教えてくれました。

聖書には、「10人の乙女」という物語があります。

乙女たちは主が来られるのを待っていました。10人のうち、5人は賢い乙女で油を用意していました。5人はアホで油を用意していませんでした。(正しい表現は聖書をお読みください)

夜中、乙女のところに主が来られると、10人は支度をします。しかし油を用意していなかった5人の乙女は明かりが消えそうになっていて、油を買いに行っているうちに主を迎えられなくなってしまう、というお話。

私たちも、油の用意を怠らないようにしなきゃ、という教訓を与えてくれる聖句です。

今日の御言葉もそこにつながっていて、心がさめないように、自分の温度調節に気を使っていかなければなりません。

いつチャンスが来るかわからないからです。

年末年始は特に、ぼんやり過ごしているうちに自分の管理がおろそかになってしまいがちです。または余計な火遊びをして自分の燃料を消耗してしまったり、「これが俺の燃料だ!」といってアルコールを飲んでしまいたくなる誘惑があるので注意が必要です。

そういうことをしているうちに、チャンスが逃げてしまいます。

考えが中心の時代

神様の考えを持つことについて教えてくれました。

神様のように固い考えになること。

今は考えが中心の時代だ、とも言いました。

昔は、考えがそのまま現れることは多くありませんでした。

しかし、今はブログやSNSで、簡単に自分の心の中のことを表現することができるようになりました。

ばかりでなく、その表現されたことに人がさまざまな反応を示し、また人が集まり、ものが売れたり、多くの価値が生まれています。

今まではモノが価値の中心にありましたが、今はモノが無くても考えだけで価値が生まれる時代になっています。

その流れがこれからも続くのだということを感じさせる御言葉でした。

愛がどういうものかを教えくれる主

救い主、愛の生誕というタイトルで御言葉を伝えてくださいました。キリストは、愛がどういうものかを教え、またそれを実践する人です。

礼拝の後、実家に帰りました。

教会ではクリスマスイベントをやっていたけど、親に召集されての帰省です。

夕食を一緒にとる予定でしたが、それまでは時間があったので近所のショッピングモールをブラブラしていました。

店内に音楽が流れていました。

山下達郎「クリスマス・イブ」

「雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ
Silent night, Holy night
心深く 秘めた想い 叶えられそうもない…」

切ない。

B’z「いつかのメリークリスマス」

「いつまでも 手をつないで
いられるような気がしていた
何もかもがきらめいて
がむしゃらに夢を追いかけた
喜びも 悲しみも全部
分かちあう日がくること
想って微笑みあっている
色褪せたいつかのメリークリスマス」

切ねい。なんで失恋ソングばっかなんだ。

バックナンバー「ハッピーエンド」

「青いまま枯れてゆく
あなたを好きなままで消えてゆく
私をずっと覚えていて
なんてね 嘘だよ 元気でいてね」

この店は恋愛に恨みでもあるのだろうか。

愛の根本を知らないとこういうことになってしまいます。

クリスマスの雰囲気でいっとき盛り上がるのだとしても、愛ってどういうものだとか、その扱い方を知らないと、結局冷めてしまって、別れることになったり長い倦怠を感じるようになってしまいます。

僕も子どものころには恋をすることがありましたが、いつか冷めてしまうだろうことがわかっていて(冷めた子でしたww)本気にはなることはありませんでした。

愛がどういうものか、長く続けるにはどうしたら良いのか、根本を教えてくれる主に感謝ですね。

今は広い世界に打って出て開発するとき

今のサタンの計略は、外部で波風を起こすことではなく、自分の悪い性根から入ってくることだと言いました。

箴言では、自分を磨くことを楽しみとすべきだといいました。そして、そこに至るのが難しいといいます。

天国はほんとうに広い世界で、個人の庭もとても大きいので、それを開発することを一生懸命やって神の栄光を示すべきですが、それよりもっと殴り合いとか派手に戦争とかして神の御力を知ろしめすことに刺激を感じる性根が残っているのかもしれません。

僕もそういうところがあるので、悔い改めなければなりません。

摂理の兄弟はみんな人格的です。御言葉を聞いていない人と比べたら、平和的で、柔和です。

だからといって軽んじて良いわけではない。

今の摂理はまだ外に出きれていないところがあって、「思い切りやりたい、でも外の世界怖い」みたいなのが鬱憤となって兄弟に矛先を向けてしまうところがあるような気がします。

天国は広い。やることがたくさんあって、それをやっていたら兄弟を憎んでる暇もないほどだと思います。

神経が鋭利だから些細なことで傷ついてしまうけど、いつも主を頭にして行なっていきたいですね。

祈りは対話をすることだ

一方的な祈りは疲れて続かないから対話しなさいと言いました。

一番嬉しく、また力が湧いてくるのは答えをもらった瞬間です。それを持って実践につなげていくことができます。

神様が注釈をつけない方であるといい、瞬間通り過ぎるように感動を与える方であるというから、答えを受けるチャンスを掴めるようにしておきたいです。