両親にイタリア旅行の自慢話を聞かされた。
ベネチアの自慢話や「ローマの休日」撮影現場の自慢話、ジェラートの自慢話などが夜更けまで続いた。
しかし意外に教会の自慢話が多かった。
サン・ピエトロ大聖堂やミケランジェロの彫刻、絵画、ドゥオモのステンドグラスに描かれた聖書の各場面などに両親は大感動したらしく、ノアがどうだのイエスがどうだのと鼻高々だった。
やっぱ日本人は見えるものに弱いらしい。
話は飛ぶけど昔、侍を誇りとしていた日本人は、黒船を見たとたんに刀を捨てて西洋化してしまった。
もうすぐ公開される映画「インセプション」のテーマでもあるが、見える世界は見えない世界から生まれる。
見えない世界に関心をもたなければならない。
会社の同じ部署に新しい人が入った。
仕事の引き継ぎをするためだ。
一緒に仕事をしながら教え、昼休みも一緒に食事をする。
すると当然のことながら、公園には行かない。
誘うわけにはいかない。
もしかしたら、二度とあの公園に行く機会は無いかもしれない。
唐突だけど、去り際というのは、常にそういうものなのかもしれない。
会社や実家では昭和のことを知る機会が多い。
最近ちょうど、昭和の戦争がどれほど無茶だったかを学んだ。
明治時代、維新に成功して海外の驚異をはね除けた日本は、いち早く近代化した。
その後「眠れる獅子」と呼ばれた大国、清との戦争に勝ち、世界最強といわれたロシア帝国のバルチック艦隊をことごとく沈めるという奇跡を起こした。
第一次世界大戦でも戦勝5か国に連なり、国際連盟の常任理事国にもなり、かつての極東の農業国は、立派に先進国の仲間入りを果たした。
そこまでは良かったが、いつからか「このままいけるじゃん」と思い込むようになり、欲を出した。
中国に駐屯していた関東軍は、満州の権益を広げるため、独断で張作霖を爆殺した。
続いて自分で敷いた鉄道を自分で爆破して中国人のせいにした。
乗りに乗って日中戦争をはじめ、どんどん戦線を広げた。
北はモンゴルの国境まで手を出し、ソビエトと交戦した。
が、そこで思わぬ敗戦を喫した。
戦争は長期化し、国際世論は中国に同情的になった。
事態を早期に収拾させるためにドイツと手を組んだのが裏目に出た。
ナチス・ドイツがポーランドに進駐したため、日本は否応なしに世界大戦の渦に巻き込まれ、敗戦への道を突き進んでいった。
日清、日露戦争では国力の劣っていた日本が勝利した。
太平洋戦争もそうなるはずだった。
しかし大敗北したのは、戦争のきっかけが欲のためだったからだろう。
すずめは今、子育ての時期のようだ。
お母さんすずめが、やっと飛べるようになったひなを何匹か連れてパンをもらいにやってくる。
パンくずを投げると、母鳥はそれを小さくちぎったり潰したりする。
その間、ひなたちは口を開けて鳴きまくっている。
母鳥がひなの口にパンを突っ込む。
するとひなは鳴き止む。
しかし、もらえなかったひなは母鳥にタックルする。
もらえたひなもすぐまた鳴きまくる。
母鳥がパンを突っ込む。
鳴き止む。
タックルする。
鳴きまくる。
その繰り返しだ。
子育てが大変なのは、どの世界でも同じようだ。
ひなは、僕にはパンくずを求めない。
パンくずを投げてやっても、食べ物なのかわからない様子で、ぼやっと突っ立っている。
母鳥からしか餌をもらわないようだ。
そうやって食べられるものを学んでいるらしい。
いくら僕が「これは食べ物だよ」と言ってもひなには通じないが、母鳥が教えることで、ひなはパンが食べ物だということを理解する。
ひなと母鳥と人間の関係は、人間とイエス様と神様の関係に似ている。
雨が降っていた。
雨が降る日は公園にはいかないし、鳥にパンをあげることもしない。
ただ一度だけ、ふと思い当たるところがあって公園に寄ってみたことがある。
そしたら思った通り、ヒヨドリが滑り台の上に止まってパンを待っていた。
「今日はなしだよ」と言って公園を離れたが、たぶん理解出来なかっただろう。
「来てすぐ行くなよ。ずぶ濡れで待ってたんだぞ。」
と思っただろう。
おそらくヒヨドリは、土日も待っていたに違いない。
「人間て気まぐれだよ。俺はちゃんと毎日滑り台に来てるのに。」
と思っただろう。
鳥が人間の事情を知らないように、人間は神様の考えを知らない。
最近暑くなってきたので、漂鳥のヒヨドリは平地から山地へ住みかを移したようで、姿を見かけなくなった。
いじめっこのヒヨドリがいなくなったことで、スズメが再び姿を現すようになった。
ヒヨドリには芸を仕込んだが、スズメもなついて手から直接パンを受け取るようになった。
パンを差し出すと焦って指をくわえていこうとすることがある。そういうとき、こちらが「あの、ちょっとやめてくださる?」という気持ちでいると、スズメはこちらを不思議そうに眺めるが、次からは丁寧に取っていく。
動物は言葉を持たないから複雑なことは伝わらないけど、「痛い」とか「腹立つ」というレベルは伝わっているのではないかと思う。
食べ物は、何を口にするかよりも、どれだけ体に吸収されたか、どれだけ健康に役立ったかの方が肝心だ。
知識も、何を学んだかよりも、どれだけ身についたか、どれだけ生活の中に役立てたかの方が重要だ。
「ヨーロッパには行くな。」という先生の言葉を聞いたとき、真っ先にギリシャ危機が思い浮かんだ。
新聞の紙面を賑わしているギリシャは今、破綻の危機にある。
ユーロ圏諸国とIMFが支援を表明しているものの、問題を抱えているのがギリシャだけではないので、この先どうなるかわからない。
PIIGSと呼ばれるポルトガル、スペイン、アイルランド、イタリアに問題が飛び火する可能性が指摘されている。
先生がおっしゃったこととヨーロッパ経済は関係無いかもしれないが、話を聞いた瞬間ギリシャ危機が頭に浮かんだことも事実だ。
ヨーロッパが財政難に陥るようであれば、いずれはアメリカ、そして世界一の財政赤字を抱える日本にも、さらなる困難な状況が訪れることも考えられる。
公園で昼食をすませることが多いため、それを知っているヒヨドリが滑り台に止まってパンを待っている。
彼は最近、空中キャッチを覚えて、投げたパンが地面に着く前にくわえる。
ヒヨドリはペットとして飼われることもあるくらい良くなつく鳥だそうで、飼い主を覚えられるほど頭も良いらしいから、私のことは配給のおじさんぐらいには思っているかもしれない。
しかし寂しいのは、公園にヒヨドリしか来なくなったことだ。
以前はスズメやハト、ハクセキレイも来ていたが、攻撃的なヒヨドリが追い散らすので来なくなった。
芸を覚えた嬉しさの反面、寂しさが残る。
まだ寒かったころ、昼休みに公園でパンをかじっていたら、スズメが寄って来た。
冬は鳥にとって飢饉の時だろうと思って、パンをあげた。
こうして配給をしていると、ハトやハクセキレイ、ヒヨドリもやってくる。
鳥害が心配だったが面白いので続けているうち、鳥の習性が見えてきた。
スズメは仲間やひなを連れてやってきて、仲間同士でケンカしたりひなに分けたりしながら賑やかに食べる。
ハトは人の足元をうろうろしてパンを要求する。
大食いでコッペパン4分の1くらい食べる。
ハクセキレイは臆病で、遠くからこちらを伺いながら地面をつついている。
パンを固く潰して遠くへ投げると食べる。
ヒヨドリは木の上に止まっていて、スズメにパンを投げると滑空してきて横取りする。
しかもそのあとスズメを追いかけ回す。
可愛らしい見た目からは想像できない。
最後にカラス。
高らかに鳴きながら上空を飛んでいく。
「配給?俺には人間が捨てたゴミがあるさ。」と言わんばかり。