決心

今日のテーマは決心
誰かに言われて「やらなきゃ」という気持ちを起こすのではなくて、
神様とガチンコの対話して、はっきりわかって「やろう」と思うこと
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続けていたら何が変わるか

「やっていることを続けていれば、何かしら変わる」と先生が話されてました
では何が変わるでしょう
今日わかったのは、
「自分が変わる」
続けていたら、何も起こらなくても、何かしら考えるだろうと思います
「なんでうまくいかないんだろう」
「このままじゃいけない」
「やり方を変えてみようか」
こう考えられたら良い方向に変われそうです
あるいは
「なんでうまくいかないんだろう」
「変わるって言った先生の嘘つき」
「もう信じない」
こう考えたら悪い方向に変化しそうです
どちらに変わるか、それは自分次第
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祈る時間

事務職なので、仕事が忙しくない時やルーチンで頭を使わなくていいときは祈っています
会社の女子達はお喋りをしているけど、僕は天と対話
ひたすら考えるというか祈りながら、大切なことが悟れることもあるし、どうでもいいネタが思いつくこともあります

前の記事の続き

一つ前の記事を回想していたら、この聖句を思い出しました
「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。」マタイ13:24〜26
昨日、僕は良い結果を収穫出来ることを期待して仕事をしていましたが、途中どこかで悪い種がまかれ、毒麦も実をつけてしまい、仕事がおしてしまったようです
毒麦はいつまかれたのか。
聖句を見ると、「眠っている間に」とあります。
確かに、仕事中に居眠りしていたかもしれない。
上司が怒っても仕方ないか(笑)
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摂理で学んだことから

摂理で、
「100%行うのは難しい。人はあと一歩のところで辞めてしまうことが多い」
という話を聞きます
この話を念頭において生活してみると、確かにそうで、あと一歩で終わるというときに「なんでこんなことしてるんだろ」という考えが浮かんできたり、別の用事が入ってなかなか終われなくなったりします
今日も「もう少しで仕事が片付く」というときに、上司が怒りだして、予定より仕事の終わりがずっと遅くなってしまいました
そこでよくよく考えてみたところ、上司が怒り出すきっかけを、ずっと前に作っていたことがわかりました
ずっと前に蒔いた失敗の種が、あと一歩のところで芽を出して自分の邪魔をしていました
最後までやり遂げるために、過程から気を付けていかないといけないと思いました
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賛美

年初は神様に栄光を帰す期間としています
今日は協会のみんなで賛美をたくさん歌いました
カラオケより楽しい(^_^)

ヨセフ

今日、ヨセフの話を聞きました

創世記に出てくる人物で、12人兄弟の11番目、兄たちに憎まれてエジプトに売り飛ばされてしまいますが、そこで成功した人です

踏んだり蹴ったりの人生ですが、その中で耐え忍びたくさん知恵を蓄えて、最後に成功する

いい話です

今日は、繰り返し行なっていると、体質が改善されるという話を聞きました
苦手なことも、自然にできるようになるまで繰り返し練習していきましょう
最初はうまくいきませんが、トライアンドエラーで自分のやり方を見つけていきましょう
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新年

あけましておめでとうございます
摂理って立場から、よりわかりやすく役に立つ記事が書けるように頑張っていきます
今年もよろしくお願いします

イスカリオテのユダ

イエス様の弟子の一人に、「イスカリオテのユダ」という人がいました。
イエス様から、12使徒(選抜メンバー)の1人に選ばれ、財布を預かっていた人、そしてイエス様を裏切り、十字架に掛けるきっかけを作ってしまった人です。
今日感じたのは、イスカリオテのユダ、中心がずれていたのだろうな、ということです。
聖書を見る限り、ユダはお金に執着があります。
マリアがイエス様にしたことに対して、「なんのためにこんなむだ使いをするのか。それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」マタイ26:8他
と言っています。
本来イエス様を中心にすべちところが、お金がより中心にきてしまった。
結果、イエス様をお金で売ってしまい、十字架に掛けてしまいます。
何を中心にするかで、人の行動は正反対になります。
欲しい物がある人はお金を出してそれを得るし、お金が欲しい人は大事な物を出してお金を得ます。
ユダの場合、お金を中心にしたので、イエス様を売ってお金を得ました。
その結果自殺に追い込まれました。
本来は、お金をだしてイエス様のために使いイエス様の人気を独占して「いや、当然のことをしたまでです、ははは」というべきでした。
何を中心にするのか、恋人、仕事、家庭、いろいろありますが、中心を何にするかで自分の行動が変わり、それによって得るもの、代価として払うものが大きく変わってきます。
何を選ぶべきか、「これか、あれか」が重要です。
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