明け方に祈りなさいといいました。
いま、摂理全体で祈る条件を立てていますが、いろんなことが起こっていることを外的にも内的にも感じることができます。
一番わかりやすいのは、こちらの記事ですね。
鄭明析牧師 10年の冤罪人生ー台湾大手メディアに掲載
まだお祈りの条件を立て始めてから日が浅いですが、明らかになるべきことが明らかになってきています。
そのほか、先生が「祈り始めて3日で、今まで解けなかった問題が解けた。もっと早く祈ってくれればよかったのに。」といったこともあります。具体的にはなんでしょうね。
僕自身にも良いことが起こっています。
自分のことなので小さいことなんですが、一番は「頭がクリアになった」ということですね。
今日の御言葉でも「明け方に祈れば聡明になる。祈らなければ力がない。」と言いました。
なぜクリアになるかというと、純粋に“余計な情報が入ってこない”ことがあげられます。
そうすると、「自分にとってなにが一番良いのか」ということに考えを集中することができます。
ぼくはこのことに救われました。けっこう、いろんな情報にさらされて、行動が鈍くなっていたところがあるので。
確かに、いろんな情報を比較しながら検討する必要はあると思いますが、「これが一番」「これがお勧めだよ」「今だけお買い得だよ」といった情報が氾濫している現代では、冷静な判断をすることが非常に難しいです。
そうしたいろんな誘惑を排除して、クリエイティブな自分になれるというか。
それが大きいですね。
「自らやりなさい」といわれる今のときにあって、またAIが台頭してくる将来にあって、クリエイティブであるということはかなり重要です。
今まで、摂理では何度も明け方のお祈り条件を立てていますが、今までは“より霊的なことのために”たてていた条件だったのに対して、今回は“霊のため、肉のため”に立てている条件です。
そのため、僕みたいな「あまり霊的でない」人にとっても効果がわかりやすくなっています笑
こういう効果があるなら、110日で終わらずにずっとやっていたいと思うほどです。もちろん毎朝起きられるわけではありませんが笑
お祈りをすることで、自分がやりたいこと、やるべきことがやれている気がします。
先生の弟さんのポンソクさんもよく言いますが、「自分のやりたいことを自由にやれることは幸せなことだ。それをやれないことは不幸だ。」それを実感することができています。
これからもお祈りを続けることで、いろんな効果が目に見えてくるのではないかと、そういう希望を持っています。
そして、そうした希望が持て、またお祈りを今普通にできるのも、今まで「霊のため」という、一見すると効果がわからないことのために時間を投資してきたからです。
今ちょうど旧約聖書についての御言葉を聞いたのですが、アブラハムは神様に「行け」といわれてそのとおりに実践したら成功を収めました。ほんの一部とはいえ、僕も信仰の条件たてられたかなあという思いです。
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」ヘブル11:1
ん、なんかいつもよりポジティブな記事になった。