人生を積み重ねたものが歴史になる

今朝は御言葉では、今の時について話してくださいました。

そして箴言では、歴史という大きな時について教えてくださいました。

私たちはいつも「聖書の歴史」という大きな時の流れについて学んでいますが、それは元を辿れば一人一人の中心人物たちが少しづつ義を積み重ねてきた結果です。

その流れがバトンを繋いで今に至っているんですね。

今というこの時に何をすべきか、今に生きている価値をわかってやるべきことをやっていきたいですね。

人はその位置の影響を受ける

東京は雨が降っています。

兄弟が教えてくれたことによると、15日連続で降り続けているらしく、これは40年ぶりの出来事だそうです。

降り続けているといってもほとんど小雨です。そのせいで気温が低く、過ごしやすいのはありがたいです。

みなさんがお住いの所はどうでしょうか。

場所によっては大雨が降ったり、逆に猛暑になったりしていると聞きます。

どこに住んでいるかで、環境が変わってきますね。

海外に目を向ければ、その差はもっと広がります。

日本は朝でも夜の国があるし、今が冬の国もあります。

さらに、こうした外的な違いだけでなく、内的なこともその位置、その場所によって様々な違いがあります。

資本主義の国もあるし、共産主義の国もあるし、独裁国家もあります。

私たちが住んでいる場所の天気の影響を受けているように、生まれ育った国の体制の影響を強く受けています。

さらにさらに、時代によっても違いが出てきます。

今はスーツを着て電車に乗って会社に行く人が多いですが、私たちが江戸時代に生まれていたら、裃を着て馬に乗ってお城に向かっていたかもしれません。またはもう少し未来に生まれていたら、テレワークが当たり前になって、好きな格好で近くのコワーキングスペースで仕事をしているかもしれません。

そのように、私たちは生まれた位置にも影響されますし、生まれた時代の影響も受けています。

今日の御言葉では「位置がその人を作る」とおっしゃいました。

私たちは、世界的に見ると比較的自由にできる環境にいまずは。1時的とはいえ、先生がいる場所に比べたらどれだけ恵まれているでしょうか。

またとても恵まれた時に生きています。

そのことに感謝し、価値をわかって使わないといけませんね。

天国の位置

最近の御言葉では「位置の大切さ」について教えてくださることが多いです。

「位置が大事だ」という歌を先生はすでに3つも作られましたし、今朝の箴言でも位置について話してくださいました。

そして、箴言の前の御言葉では「天国の位置」について教えてくださいましたよ。

さて、天国はどこにあるでしょうか。

答えは、ダラララララララララ……

ジャン!

「あなたの隣」にあります!

イェー!!

ドラムロールを文字でやるのは無理がありますね。

それはともかく、天国はすぐそばにあります。

聖書にもこう書いてあります。

「神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。」ルカによる福音書‬ ‭17:20-21‬ ‭
毎日天国を感じるためには、笑顔でいなさいと仰いました。

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」テサロニケ人への第一の手紙‬ ‭5:16-18‬

今日は終戦記念日です。

日本の都市部の多くが焼け野原になりましたが、そこで悲観的になったりアメリカを憎んだりすることなく、前向きに復興に取り組んで、世界の先進国に返り咲きました。

以前、1950年くらいに政府が作った資料を見たのですが、そこで「何もかも無くなっちゃったんだから、また新しく作ればいいじゃない。」みたいなことを言っていて、私は(日本ってどんだけ楽観的な国なんだ)と思った覚えがあります。

そうしたフットワークの軽さが戦後復興を遂げた力になったことは確かだろうと思います。

大変なことがあっても、すぐ隣にある天国を探したいですね。

大きなチャンスは見えないから逃しやすい

時について御言葉を伝えていただきました。

主日にも伝えられた、時についての御言葉です。

神様は時に従って働かれます。

一日の中にも昼があって夜があり、一年の中にも夏があって冬があり、人生の中にも子どもの時がありおじいさんの時があり、歴史の中にも旧時代と新時代があります。

その時に合わせて行わなければなりません。

太陽が昇ったり沈んだり、人が成長したり老いたり、という時は見えるのでわかりやすいです。

しかし、時代の時は見えないのでわかりづらいです。

わからないのは、盲人だからです。

だから、わかっている人に教えてもらわないといけないんですね。主日の御言葉でもそう仰いました。

なぜ盲人になっているかというと、私たちが自分を中心にしているからです。

自分の命は長くて百年ですから、それ以外のことは考えないのがいちばん楽です。それが人間の領分だと思うでしょう。

しかし、この歴史は神様の歴史です。

本当は、千年が一日のように動いています。その歴史を、神様は人を使って進めているんです。

百年単位、千年単位で動く「時」というものがあります。

見えないけど、時は確実に動いています。

今、この時も着実に進んでいます。

だから、その大きな動きに盲人になって何もアクションを起こさないのは、とてつもないチャンスを逃していることです。すごくもったいないんです。

聖書の「時代の盲人」の話はすべてに当てはまる

今日の御言葉は、〈盲人〉と〈新しい時代〉についての話でした。

出エジプトやイエス様の時代の話を通して、新しい時代が来た時の人々の反応について伝えてくださいました。

いつの時代も、新しいことが起こるとそれを受け入れられない人がいます。

出エジプト記のイスラエル民族もそうだったし、パウロもそうでした。

パウロは途中で悟って心を翻し、歴史に名前を残しますが、出エジプト記のイスラエル民族のほとんどは、わからずにいてそのまま死にます。

神様の裁きの怖いところは、「失われた心のまま放っておかれる」ということだと仰いました。

「なんとなく月日が過ぎている」ということが実はとても怖いことなのだということを私は思いました。

本当に「ただ月日が過ぎている」だけなら良いでしょう。平和で。私もそういうのんびりしているのは好きです。

しかし、神様はじっとしている方ではありません。

サタンに奪われた歴史を回復するために、ひと時も休まないで働かれています。

だから、「なんとなく今日も平和」というのは本当に何も起こっていないのではなくて、自分が大きな変化に気づいていないだけで、実は神様に放っておかれている可能性があることを感じなければなりません。

そうなったらパウロのように「このままじゃ俺やばい」と気づいてすぐに方向を変えないと行けませんね。

先生は今日の御言葉を本に残すとおっしゃっていました。

その通り、聖書のこの話はすべてのことに通じるモデルケースです。

あらゆることで、このような「新しいことが隠密にどんどん進み」「知らない人は相変わらず食ったり飲んだりしている」という現象が起きています。

周りばかり見るのではなく、自分を大事に

今朝の御言葉では「自分が変われば皆が変わる」と仰いました。

他人や環境のせいにしないで、まずは自分が変わることが必要ですね。続く箴言も「練達」についてで、自分を鍛えることの必要性について話してくださいました。

御言葉で「『御言葉』があり、『主』がいて『あなた』がいればいいではないか。」と仰いましたが、核的にはこれさえあればあとはなんとかなります。

これさえあれば、どうなったとしても他のものは後からついてきます。

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」マタイによる福音書‬ ‭6:33‬

逆に、これらの核がないと、他のものをどれだけたくさん持っていても意味がありません。

「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」マタイによる福音書‬ ‭16:26‬

昨日、実家に帰ったときに、先日亡くなった幼馴染の家に寄って、線香をあげてきました。

おばさんがアルバムを見せてくれたのですが、本当にたくさんの友人がいて、たくさんの場所を旅行して、スポーツして、とかなりアクティブに動いていたことを知りました。

ただ、それも体がなくなってしまった今はもうできません。

やっぱり核は自分なのだということを思いました。

健康、気をつけてねー。

心が渇く時は先生のやり方をモデルにしよう

今朝の御言葉では、「脳に恵みの川が豊かに流れるようにしなさい」と仰いました。

私たちは、いつも気分良く生活したいと思ってはいますが、なかなか難しいことも多いです。

なぜなら、いつも良いことばかりが起こるわけではないからです。

だから、過去にあった良いことを忘れないようにして乗り切る、ということも必要です。

御言葉でも「過去に受けた恵みを忘れるな」ということをたくさん仰います。

そこで、今朝の御言葉を書いた方は、そのことを実践しました。

はじめて先生に会った時のことを、何度も思い返してみました。

しかし、うまくいかなかったそうです。

過去の思い出にしがみつこうと必死になるほど、そのことを大変に感じ、心が渇きました。

そこで頭を休めようと、山に登りました。すると、川に豊かに水が流れていました。

「このように、恵みの川が流れていなくてはいけない」

そのためには、自分の頭で考えていてはいけないのだと仰いました。

聖霊を頭にしなければなりません。そうすれば、渇いた地に十分に雨が降り注ぐように、この考えに恵みの川が流れるようになるのだと仰いました。

以下は、私が御言葉を聞いて思ったことです。

自分を頭にしている間は、思い出は一つの意味しか持ちません。

「あの時のこと、良い思い出だったなあ」

では、聖霊を頭にした場合はどうでしょうか。

私はあまりそういう経験がなく説得力がないので、先生を見てみましょう。

先生の御言葉を聞いていると、一つの出来事に対して、後から後から様々な意味を発見される姿を見ることができます。

月明洞にしてもそうだし、さまざまなしるし、万物、夢、歌など。

一つを取ってもさまざまな意味を持っていて、それが少しずつ明らかになっているし、また「まだ見つかっていないものもある」ということも仰いますね。

これが、聖霊を頭にして恵みの川が流れるということです。

自分中心にして見るのではなく、聖霊を中心にして見るといろんな形が見えてくる、いろんな恵みが見つかる。

神様は、一箇所にとどまるのではなく、時に従って働かれる方です。

今この時に神様はどのように働かれているか、その宝を探すことは、私たちの責任分担です。

十字架を万物でたとえてみると

今朝の御言葉では「十字架について正しく知って証しなさい」と仰いました。

私たちがなかなか理解できないことの一つが「十字架の意味」です。

なぜかというと、私たちはそれほど誰かのために犠牲になったことがないからです。

正直なところ、私もよくわかっているとはいえません。

だから、証もできません。

ということで、今日の話はおしまい。

いや、毎日書くと決めたので何か書こう。

十字架について、何度かこのブログにも書いてきましたが、今日はまた別の観点から。

キリストがなぜ十字架にかかったかといったら、時代が邪悪だったからですね。

世の中に罪がはびこり、妬みや憎しみが充満して、もうどうしようもなくなったから、サタンが人間を滅ぼしてしまう前に、罪のないキリストが全ての罪を背負って清算したのが「十字架による救い」です。

これは万物でたとえるなら、なんにもわからないで巣でピヨピヨ鳴いているヒナ(人間)にヘビ(サタン)が近づいてきて、全部食べようとしていた。

その時、そのことに気づいた親鳥(キリスト)が鳴き声をあげ、ヘビを自分に引きつけてヒナを救った、ということです。

これを実感しなければならない。

サタンが世の中に働いていることは、聖書の歴史が始まっていらいずっと変わりません。

聖書に詳しい人なら、いつもサタンが人類を狙っているんだということがわかっているから、いつも気をつけているでしょう。人類はそのことを意識すらしませんが。

自分の心にときどき湧いてくる妬みや憎しみ、それは元をたどればサタンが蒔いたものです。

それがどんどん大きくなると、戦争が起こったり恐慌が起こったりします。

ガンですね。

だから、大きくなった時には切除しないといけない。

その大掛かりな手術を、キリストがやったということです。

今日はおしまい。

問題が大きくなる前に切実になって実践だ

今朝の御言葉は、「切実さ」の必要性について話してくださいました。

御言葉を伝えてくださった方が、「もっと次元をあげなきゃいけないんだけど、そこまで願っていない自分がいる」と仰り、祈っていた時にわかったのが「切実さが必要だ」ということだったそうです。

私もよくありますね。「このままでもいいかな」と思うことが。

しかし、「このままでいい」と思ってると途端に状況が悪くなって切実にやるしかなくなることが多いです。

「このまま」はいつまでも同じ状態にはとどまってはいないんですよね。

体重も「このままでいい」と思って何もしないでいたらどんどん増えていくだけです。

健康も「今のままならいい」と思って不摂生を繰り返していると、いつのまにか大変な病気になっています。

その時になって切実になるのはB級人生ですよね。

そうではなく、そうなる前に「自らわかって」切実に行わないといけないんですよね。

先日、私の幼馴染が亡くなったんです。

ガンでした。見つかった時にはすでに末期だったそうです。

そんなことがあっものだから、昨日誕生日を迎えた人に対して「おめでとう」というより「健康に気をつけろ」的なよくわからないメッセージを送ってしまいました。

昨日も書きましたが、この体は毎日3千個のガン細胞が生まれています。

それが意識できないのは、見えないからです。

映画なんかでは、悪が生まれるシーンが恐ろしく表現されていますが、実際の悪は誰にも気づかれないように忍び寄ってきます。

その場にカメラマンも照明さんもいません。

誰にも気づかれないところで、だんだん大きくなります。

だから、問題が大きくなってから気がついて、その時にようやく切実になっては遅いことがあります。

年始には、御言葉で「暴漢に追われるように走りなさい」と仰いました。

その通り、目には見えないけど、未来から良いことも良くないこともこちらに向かってきています。

目に見えてからでは遅いから、前もって行う必要があります。

ミリミリ。

この体と歴史の共通点

今朝の御言葉は、霊の健康についてでしたね。

昨日の箴言で体の健康について話され、今日の御言葉の冒頭で体調不良の話がされました。

その流れで霊の健康について御言葉をされました。

すごいですね。普通はなかなか体調不良から御言葉はできないです。自分の体のことばかり考えてしまいますよ。

御言葉では、「持続的に健康管理をするように、持続的に霊も健康管理をしなさい」という話をされました。

この体は約60兆個もの細胞でできています。

これが健康な状態でいられるのは、免疫機能が働いているからです。

人の体は何もしないで健康を保てるわけではありません。

いつも外からウィルスとか細菌が入り込んで来て攻撃してきますし、また内部では毎日3千個ほどのガン細胞ができているそうです。

バイブルスタディで学んだサタン論と同じですね。サタンは外側からもからも内側からも攻撃してくると習いましたが、それと同じです。

健康な体は、こうした攻撃に対しての免疫力が高いので、健康でいられます。

免疫機能が衰えたり、攻撃があまりに激しい場合には、体調が崩れます。

その戦いに勝利してこそ、健康でいられます。

外側から攻撃してくるウィルスですが、科学的には「非生物」として扱われることがあるそうです。

細胞膜を持たず、すごく中途半端な存在なので、生き物の要件を満たすとは言えないそうですよ。

まさに、御言葉でいう「死亡圏」に属している存在です。

また、内側から攻撃してくるガン細胞ですが、一説では、ガン細胞には原始の細胞に存在する特徴が多く見られるそうです。

その話によると、ガン細胞とは「先祖返りしようとしている細胞」だと言うんですね。

その原始の状態に戻ろうとする古い細胞が、どんどん仲間を増やして、健康な体を侵食していくのが、ガンです。

うーん、旧時代による迫害。これも御言葉と重なりますね。

イエス様は古い宗教であるユダヤ教の人たちに命を奪われますが、こうした歴史と、体で起こっていることに重なる点がとても多いです。

やっぱ歴史ってすごいよ。

霊の戦いに続けて勝利したいですね。そして、縮小すると、健康に気をつけないといけないということです。

個人的には温冷浴が超絶オススメ。